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市長の手控え帖 No.84「月見の楽しみ」

市長の手控え帖

長らく月見とご無沙汰していた。中秋の名月は十五夜。今年は9月27日だった。翌日上京した。用務を終え、東京駅の全景を見ようと、皇居に続く広場に出た。何人か、駅上空に大きなカメラを向けていた。何だろうと顔を上げたら、駅中央口の真上に、いつもより大きく明るい月が輝いていた。でもただの満月ではなさそう。

恐る恐る聞いてみた。「今夜は月が最も地球に近づくスーパームーンだよ」。なるほど。雲に邪魔され、見え隠れしながらも煌々と都心を照らしていた。満ち足りた気分で新幹線に乗った。白河に着き十六夜の月を見上げたら、一片の雲もなく妖しいまでに光っていた。

十三夜は10月25日だった。翌日も偶然東京にいた。発車の刻限まで駅の周りをそぞろ歩いた。ふと見上げたらまん丸の月が出ていた。先月より小さいものの、駅北口側の上空に冴え冴えと輝いていた。雑踏の中、足を止め見入った。家路を急ぐ人の群れは駅に吸いこまれていく。雅な月に目をやる人はいなかった。まわりにそびえるビルから電気が消えたら、さぞかし綺麗だろうと思った。科学の力は、生活を豊かにし、利便性を高めた。しかし一方で、ロマンや詩情を奪い、妖怪やおとぎ話を遠くへ追いやった。月見という言葉が日常から消え去るようで寂しい。

洋の東西を問わず月の詩歌や音楽は多い。李白や杜甫は、悲哀や孤独を美しく詠む。ベートーベンの「月光」は幻想性と厳格さが見事に溶け合い、ドビュッシーの「月の光」は静寂が心にしみる。アンディ・ウィリアムスの甘く包み込むような“ムーン・リバー”。グレン・ミラー楽団のジャズの名曲“ムーンライト・セレナーデ”。ゆったりとした気分にひたれる。

和歌にも秀作は尽きないが、月の情景を切り取るには俳句が合うように思う。俳聖芭蕉。「名月や池をめぐりて夜もすがら」。名月を眺めながら、池の周りを歩いていたら、いつの間にか夜が明けてしまった。満月の夜、芭蕉が門弟と庵の池で遊んだ折の句でもあろうか。謹厳な顔がほころんでいるようだ。世俗の俳諧師一茶。「名月を取ってくれろと泣く子哉」。つかみとれるようなまん丸月をとって、と駄々をこねる子と、困惑する親の姿がよく伝わる。

絵師蕪村。「菜の花や月は東に日は西に」。春の自然の情景を絵画的に詠んだ。正岡子規は、蕪村は芭蕉を超えるとまで評価した。好きな句に、「月天心貧しき町を通りけり」がある。中天に名月が光り輝く夜更け、寝静まった貧しい家が並ぶ路地を歩いている。雨戸を閉め、ごくわずかな灯りしか漏れてこないわびしい裏通り。ことさら月が明るく感じられる。

10月に蕪村の句が200余見つかった。文学的評価はこれからだが、何とも嬉しい。その一句「傘も化て目のある月夜哉」。お化けのようなぼろ傘の破れ目から、夜空に浮かぶ月の灯りが差しこんでくる。ユーモアと風情のある蕪村らしい句だと思う。

月を鑑賞する風習は唐の頃に始まり、平安の貴族社会に入った。舟を浮かべ、酒とともに詩歌・管弦を楽しんだ。室町に月を拝み、お供えする習わしができ、江戸中頃から一般化した。十五夜には魔除けとされたススキに、団子や芋などを、十三夜には豆や栗を供えた。昔は「芋名月」や「豆名月」といわれ、一方しか見ないのは片見月といい縁起が悪いとされた。

子どもの頃、よその家の縁側に供えてある果物や菓子を盗ってまわる“お月見泥棒”をした。ドキドキしながら、盗ったものをみんなで喜んで食べた。懐かしい思い出のひとこまだ。昔は月の満ち欠けで日を数え、農事暦とした。一方で、かぐや姫の物語を紡ぎ、叙情・恋・メルヘンを生んだ。月は生活に欠かせないものであり、同時にまた安らぎ、憩いでもあった。

江戸前期の絵師、久隅守景の作に、国宝「納涼図屏風」がある。夏の終わり、1日の農作業を終えた後でもあろうか。瓢箪の実る棚の下、莚の上で夕涼みをしながら、男女と坊やが満月を眺めている。夫は頬杖をつきのんびりと、妻も満足気な顔。一家の憩いのひと時を描いている。ありふれた日常にこそ真の幸せがあると言っている。何気ない幸せに、月も一役買っている。

漱石の句「明月や無筆なれども酒は呑む」。親友の子規は、月並みと評しそうだが、何となく面白い。漱石はI LOVE YOUを“あなたといると月がきれいですね”と表現したとのこと。なんと洒落た言い回しでしょう。文豪も茶目っ気があり、くすっと笑わせるおかしみがある。

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