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市長の手控え帖 No.99「菜の花と商品経済」

市長の手控え帖2

 

4月を迎えた。入学や入社、転勤に異動。期待と不安がまじった特別な月だ。可憐な梅が、あちこちで控えめに咲いている。もうすぐ、あたり一面、爛漫の桜におおわれる。花といえば梅と桜。だが、鮮やかな色で、食用としても人気の花がある。菜の花である。
「菜の花や月は東に日は西に」。言わずと知れた蕪村の句。六甲山を訪れたときの作だという。日暮れ時。茜色に染まる太陽が西に隠れようとし、静かに月が東から上る。お日様とお月様に挟まれ、一面に黄色い菜の花畑が広がる。映像や絵画のような三幅対。穏やかに暮れゆく春の色と香りが、湧き立ってくる。雄大な光景とロマンに魅了される。
蕪村は文人画、俳画を自在にこなし、書もうまい。そして叙情、叙景、郷愁の詩人だ。このマルチな芸術家は、のびやかな海辺の風景が好き。「春の海ひねもすのたりのたりかな」。また、夕日に映え、海辺に広がる菜の花が好き。「菜の花や昼ひとしきり海の音」。「菜の花や鯨も寄らず海暮ぬ」。蕪村の生きた江戸中期、菜の花畑は急速に拡大していった。
菜の花から油が取れる。菜の花畑の広がりは、油菜が多く植えられたことを意味する。鑑賞用としてではない。需要があり売れるから。八代将軍吉宗は、揺らぎ始めた米経済を建て直す享保の改革を行う。しかし時代の流れは止まらない。開田や農機具の改良により生産力が増す。生活レベルが上がる。家族の団らん、居酒屋での息抜き、読書を楽しむ。それには行灯がいる。油が必要になる。
人力に頼るやり方では量が取れない。必要は発明の母。水力を使うことに目をつける。川の流れの速いところに水車をつくり、種搾りの機具を取り付ける。機械化により、驚くほど大量の油が取れる。値段は安くなり、さらに需要は増す。一種の産業革命といえる。
各藩も、産業の振興と財政安定化のため、桑・漆・綿花・藍・紅花など、商品作物の栽培を奨励した。農家の懐にお金が入る。相場ができ、価格が上り下がりする。じわじわと商品と貨幣経済が浸透していく。表向きは武士、実態は商人が実権を握る世の中へ変わる。
この動きを冷静に見つめ、農業中心から、商業や流通重視の政策へ転換しようとしたのが、田沼意次だった。この時代に、資本主義的な経済の基礎がつくられていく。西洋画のように壮大な叙景の句は、経済の大変動を告げていた。
商品が出まわるには流通が大事。とりわけ、膨張する江戸へ、安全かつ大量に物資を届けることが急務となった。五街道が整備され、宿屋・飛脚・問屋も整えられた。また、現金に代わり、手形や小切手で決済する為替や、金・銀・銅の通貨交換を円滑にする両替制度が確立された。何よりも流通の大爆発を支えたのは、海上交通だった。
江戸初期に、下関から瀬戸内を抜け、大坂を経て江戸へ通ずる西回り航路ができた。追いかけるように、津軽から仙台を経て、江戸に至る東回り航路ができた。さらに、本土と蝦夷を結ぶ北前船が周航する。日本列島を囲むように、物と情報と文化を運ぶ、海のハイウェイができあがった。
司馬遼太郎の代表作「菜の花の沖」。主役は、高田屋嘉兵衛。淡路島に生まれ、蕪村より少し後の時代に活躍した商人。北前船と蝦夷を舞台に、度胸と英知と人格で、歴史に名を残した。海の向こうは神戸、西宮。六甲山から流れ出る水で油が搾られる。日当たりのいい島が、黄色に染まるのにさほどの時は要しない。菜の花越しに白帆の船が出入りする。
菜の花の快活さとそれが生み出す利益が、嘉兵衛を海に押し出す。菜の花は近代の扉を押し開けた。明治という時代への準備はとうにできていた。

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