市長の手控え帖 No.120 「清貧という豊かさ」

市長の手控え帳

 

 カリスマ経営者として英雄視されたカルロス・ゴーン氏が起訴された。法的には、報酬額の虚偽記載と私的損失の付け替え。だが、事の本質は倫理や道徳観にある。当人もこれを承知し、報酬の公表が社員を刺激するのを恐れたという。危機にあった日産のV字回復は奇跡といわれた。だが2万人も解雇したコストカッターが、5年で100億の金額を得ることに、強い違和感を持つのは当然。それが常識というものであろう。

 グローバル市場では、株価を上昇させた経営者に巨額な報酬を与え、一般社員は低い賃金に甘んじる。ゴーン氏は米国の経営者と比べたら高額でないというが、共感を得られないだろう。心ある人は米国流資本主義の危うさと、たがが外れた強欲さを懸念している。

 経済学の父アダム・スミスは、自由な市場競争を重視した。だが一方で、自由な競争といっても、社会の中に信頼と共感がなければ、市場は機能しないと力説していた。ゴーン流経営は、日本社会に深く堆積された常識や道徳観念には、そぐわないように思われる。

 日本人には、金儲けや栄達を追う者ばかりでなく、ひたすら心の世界を重んじる伝統がある。西行、鴨長明、吉田兼好、松尾芭蕉、良寛…。「低く暮らし、高く思う」。生活は極力簡素に、風雅の世界に心を遊ばせる、清貧な生き方。

 池大雅もその一人だ。江戸時代中頃の京都人で、文人画の大成者。文人画とは、中国の優れた官僚や知識人が、煩わしい世俗を避け、清らかな自然と遊ぶことに憧れ、それを絵画に託したもの。やがて日本に伝わり、脱俗の世界に共感する市井の人が生まれ、そこから大雅や与謝蕪村が出てきた。

 大雅は何ものにもとらわれない、無邪気で天真爛漫な人だった。旅の画人とも呼ばれた。全国の景勝地・名峰をめぐり、山や川と呼吸を合わせ秀作を生んだ。だが、長いこと貧乏暮らしが続いた。小さく粗末な家。紙の散らかった部屋に、よれよれの着物を着た大雅が三味線を弾き、奥で妻玉瀾(高名な画家)が琴で合わせている挿絵がある。貧窮の中でも実に楽しげに合奏している。

 二人とも貪欲とは正反対。ただ画境を深めることだけを考えていた。『近世畸人伝』という人気の本がある。"変人集"ではない。奇特な人、人格者、忠孝の士など、幅広い人物をとりあげている。大雅の人となりを示す逸話も書かれている。

 欲しい本があった。高価だったが、こつこつと蓄え、買いに行ったら一足違いで売れていた。本のために用立てた銭。叶わないのなら用はないと、八坂神社に寄附した。ある時、神社改修の寄附を求められた。貧しい大雅には銭三百文(7千円位)。晩年には生活に困らなくなっていたようだが、金銭に執着はない。何かに使う目的もない。改修に役立つならと、押入れにあった三百貫(7百万円位)を自ら背負って奉じた。

 ある日、大阪で書画会があった。急ぎ立ったことから筆箱を忘れた。玉瀾が気づき、途中で追いつき渡した。「これはどなたか存じませぬが、大きにお世話さまです」と。玉瀾は黙って帰宅した。自分の書画は、天からの授かりものと心得、真心で絵と戯れた。大雅に一点の俗悪さもないといわれる背景はここにある。

 国宝『十便十宜図』には、限りない安らぎを覚える。「十便」は都会で得られない便利さを大雅が、「十宜」は四季の移ろいを蕪村が描いた。二つの個性が、山麓の自然の恵みを存分に享受する理想郷を、表現している。川端康成が新築資金を投じて購入したのもうなずける。

 清貧とは単なる貧乏ではない。自らの思想と意志で作りだした、簡素な生の形をいう。俗にいて俗の塵にまみれない大雅の清貧さに、真の豊かさを感じる。

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