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市長の手控え帖 No.129「引っ越し大名の悲哀」

市長の手控え帳

 

白河駅から南へ1キロメートル余り。小南湖とよばれる明媚な場所がある。江戸時代には、歴代藩主を供養する寺が置かれ、初代藩主丹羽長重の廟所や大名家の墓がある。小南湖は、明治の末に池を改修し、桜や楓を植え公園とした。かつては割烹旅館が軒を並べ、三味線が響き、さんざめく声に満ちていた。
私はこの小さな湖水が好き。湖に沿った山あいの小道を歩くと、静寂さと木漏れ日に心が洗われる。秋は格別。燃えたつような紅葉の美しさに息を呑む。ここに松平直矩の墓がある。白河藩は奥州の押さえの地。幕末まで、7家21代の大名が治めた。丹羽家以外は、全て親藩か譜代。幕府は統治強化のため、改易(取り潰し)と転封(国替え)を行った。
改易は主に豊臣家に近い大名に、転封は体制を支える親藩や譜代に多かった。転封は悲喜こもごも。要衝の地には、加増のうえ有為な大名を。能力や行状に問題があれば、減封のうえ左遷。老中を目指し、自ら望んで移った者もいれば、その犠牲になった者もいる。直矩は、54年の生涯で7回もの国替えを経験した。
直矩の祖父結城秀康は、徳川家康の次男。秀康は父に疎まれ、秀吉の養子に出された後、さらに結城家の養子へ。武勇に優れた人物だったが不遇だった。父直基は秀康の五男で松平を名乗る。家康の血を引く高い家柄。だが、長兄忠直は乱行で改易。不幸の影がさしている。
直基は、越前内で3万から5万石へ。山形で15万石と加増。姫路15万石へ国替えの途中で死去。直矩は5歳で藩主になる。着任したが、姫路は西国の押さえ。幼少の身では勤まらぬと、酷なことに、1年後、越後村上に転封。
18年後、再度姫路へ。温暖で豊かな地。ようやく安泰かと思う矢先、懲罰的な命令が下る。なんと8万石減封のうえ、豊後日田の天領へ国替え。理由は、本家越後高田藩のお家騒動。鎮静化に努め、いったんは収まったものの、家臣団の対立は根深い。将軍綱吉の裁定で藩主は改易。直矩は不手際を叱責された。
天下の名城から貧相な陣屋へ。恥辱の国替え。しかも莫大な出費と労力がいる。家臣と家族1万人。海を越えて600キロメートル。出立まで60日。運搬費は?旅費は?金庫には小判がない。借入の交渉、城の明け渡し、引っ越し先の確認。家臣の解雇…。気が遠くなるほどの大仕事。さてうまくいくだろうか。転封のドタバタ劇を映画化したのが『引っ越し大名!』。
超難関プロジェクト!失敗すれば切腹。前任者は激務で亡くなる。誰もが"お家の一大事"と叫ぶが、内心はご免被りたい。白羽の矢は書庫番の春之助へ。多くの書物に目を通しているから、知識があるだろうと?春之助は、世間知らずで、人付き合いが苦手。かび臭い部屋で、本を読むのが大好きな引きこもり侍。重役会議に引き出され"引っ越し奉行"を命ぜられる。顔面蒼白。脱兎のごとく逃げ出すが、鬼の形相の重臣に押さえ込まれる。哀れ春之助!身の不運を嘆く。
鬼になると決めた。まず、上下の別なく家財を半分にする。自らも、命より大事な書物を焼き捨てる。範を垂れるべき家老のごまかしを見抜く。法外な運搬費を要求する業者には、物価の上昇率と人夫余りの事実をつきつける。播磨の酒の販売を条件に、借り入れも成功。
最も心を痛めたのはリストラ。加増の折の再雇用を約束し、農地開拓に励むよう懇願。至誠は通じた。大事業に最もふさわしくない男が、見事にやってのけた。逆境は人を強くする。弱々しい侍が、たくましく成長していく姿を、星野源がコミカルに演じている。
その後、山形を経て、元の15万石で白河へ。小峰城を背に喜びあうシーンで終わる。列島を北へ南へ大移動した大名は、湖水のほとりで安らかに眠っている。

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