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市長の手控え帖 No.132「海賊が支えた国」

市長の手控え帳

 

海賊のイメージは?商船を襲い、金銀を手に酒に酔いしれる無法者。日本の海賊にも、積荷の略奪者はいたが、主流は違うようだ。一定の海域を支配して、海上の安全を確保する海の領主の顔である。有名なのが、中世から瀬戸内海を掌握した村上水軍。広島から愛媛県間の、芸予諸島を本拠地とした。強い同族意識で結ばれ、因島・能島・来島に分かれ、本州側・中央・四国側を領海としていた。
主な収入源は「関役」という商船の通行料(警固料)。支払った船は、村上海賊の旗を掲げたり、海賊が乗船し、他の海賊や航路の難所から守った。村上一族は大きい城を構え、多くの部下や船舶を有していた。中国との貿易や海産物加工、造船や修理も行っていた。宣教師ルイス・フロイスの記録に「村上氏は日本最大の海賊である。彼らは略奪者でなく、海上の保護者である」とある。
秀吉の海賊禁止令で解散させられたが、海賊の造船術や航海術は後世に伝えられた。幕末の咸臨丸の航海にも瀬戸内の水夫たちが活躍。日本の近代海運は海賊が切り開いたともいえる。
イギリスの海賊は勇猛果敢。略奪を繰り返す"堂々たる海賊行為"は、なんとエリザベス女王の公認。探検家や冒険商人と称する海賊は、合法的な存在だった。15世紀半ばから、大航海時代に入る。バスコ・ダ・ガマが喜望峰を回りインド西部へ。コロンブスがカリブ諸島に。マゼランが世界周航に成功する。
その背後には、激しく覇権を争うスペインとポルトガルがいた。両国は、スペインが南北アメリカを、ポルトガルがアフリカ・東インドを領有する分割協定を結ぶ。特にスペインは、南米から産出する金銀で莫大な富を得る。後進国イギリスは焦る。輸出品は羊毛や毛織物ぐらい。手っ取り早く資金を稼ぎ強兵を図るには?国をあげて海賊になることだ。
女王は船団を編成し、スペイン・ポルトガル船を狙った。奪った高価な商品を売却し現金化した。女王が頼りにしたのが、フランシス・ドレイク。海賊行為をしながら、イギリス人で初めて世界周航した。警備の薄い海域を察知し、スペイン船から金銀・砂糖を奪いまくった。
ドレイクはこの航海で、60万ポンド(今の百億円)を持ち帰る。当時の国家予算の3年分にあたる。後世、大英帝国として世界に君臨する経済的基盤は、海賊によって形成された。ドレイクは、この功績によりナイトの称号を授与された。
スペインが牙をむく。人口、経済力とも格段上。しかも「無敵艦隊」がいる。勝算は薄い。だが、女王と側近と海賊は、決戦に備えて周到に準備していた。イギリス海軍の指揮者はあのドレイク中将。まず、カリブ海の植民地を攻撃。大型帆船を破壊。略奪した高性能の船をイギリス軍に組みこんでしまう。神出鬼没の動きで、じわじわ追いつめる。
次に、西欧諸国にスパイ網を張り、政治や軍事の最新情報を入手。国王の側近を寝返らせる。敵のスパイを買収し逆スパイにする。暗号化した手紙を抜きとり解読する。こうして無敵艦隊の出航や航海ルート、弱点をつかむ。"007"秘密情報部の歴史はここから始まる。
決戦の日は1588年7月28日~29日。風上のイギリス軍は、中古やガラクタ船。風下のスペイン軍は精鋭の大型船。ドレイクは、ゲリラ戦をとる。弾薬を満載したボロ船が風に押され敵艦へ突っ込む。次々に爆発炎上する艦隊。大混乱に乗じて、小回りのきく小中型船が、大型船を餌食にした。天運か。折からの高波と強風で、無敵艦隊は難破し座礁する。
この戦いは、イギリスが大英帝国へ駆け上がる記念日となった。イギリスが産業革命や貿易で世界に君臨するのは18~19世紀。そこに至る200年は、海賊と海賊マネーがイギリスを支えた。

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