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市長の手控え帖 No.158「人生の豊かさを説く人」

市長の手控え帳

 

「ウルグアイ」と聞いて何を思い出すだろう。サッカーの強豪国。貿易の自由化や多国間通商交渉を開始した国…。日本の半分ほどの面積に340万の人口。大部分はスペインとイタリア系。南米の小さな国に世界の注目を浴びたリーダーがいた。ホセ・ムヒカ。2010年から5年間大統領を務めた。就任時は、75歳。元左翼ゲリラの闘士だった。
ウルグアイは1828年スペインから独立。当初は外国の干渉と内戦で混乱したが、徐々に政情は安定。20世紀に入るとスイスをモデルに社会経済改革を行った。民主主義が根づき経済も発展し、南米のスイスと呼ばれた。主要産業は牧畜。2度の世界大戦では、欧州に牛肉や羊毛を供給し、特需景気にわいた。
だが戦後、欧州の復興は進み、化学繊維の台頭もあり輸出は伸び悩む。インフレが進み、失業者も増え、所得格差が広がる。1960年代。社会不安の中、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの影響を受けた社会主義者たちが過激武装勢力を結成した。ムヒカも格差のない自由な社会を夢みて、革命運動に身を投じた。
1972年8月、4回目の逮捕。ここから13年の獄中生活が始まる。厳しい拷問。換気口もトイレもマットもない独房。銃弾の後遺症で何度も生死をさまよう。恐るべき孤独。這っているアリに話しかけた。幻覚に幻聴。発狂寸前の状態。だが希望を捨てなかった。9年経ち、読書が許された。物理、化学、生物学、哲学。貪るように読んだ。人間とは、生きるとは、幸せとは…。「孤立無援のこの時期、最も多くを学んだ」という。
ある日、頭に青く澄んだ空が広がった。マット1枚だけで幸せな気持ちになれた。人はわずかなもので満ち足りるものなんだ!"足るを知る者は富む"。政府への憎しみも消えた。富の無益さや暴力の無意味さを悟った。再び民主主義の世になり、自由の身となる。49歳だった。
妻はかつての同志。二人で栽培した野菜と花を売り、生計を立てた。昔の仲間と中道左派政党に入る。1999年、上院議員へ。2004年、農牧大臣として入閣。虚飾を嫌う公正無私な人柄は、国民の心を捉えた。そして大統領へ!
ムヒカは官邸での生活を拒み、郊外の農場の粗末な家に住んだ。部屋は三つだけ。水道はなく雑草の繁みの井戸から水をひいた。警備は警察官二人。給料の9割を寄付し、1か月10万円で生活した。あくまで質素な暮らしを貫いた。
ムヒカを有名にしたのは、2012年リオでの「国連持続可能な開発会議」のスピーチ。各国首脳の演説は無味乾燥。場にそぐわないラフな身なりで、ストレートに問いかける。「ドイツ人が1世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるでしょう…残酷な競争で成り立つ消費社会で、共存共栄の議論はできるのでしょうか…。貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではない。いくらあっても満足しない人のこと」会場は沸きかえった。
こうも語る。「自由とは物で溢れることではなく、時間で溢れること。人生の時間を好きなことに使っているときが本当の自由であり、物質的欲求を満たすために働く時間は自由でない」
ムヒカは資本主義を否定せず、マルクスも受け入れる。自分の尺度を持つ真のリベラリストだ。よくドン・キホーテに言及する。風車に挑む騎士を象徴するのは、夢とユートピアへの挑戦。従者サンチョ・パンサが象徴するのは、今日のパンとベッド。彼の人生は、理想と現実の間でバランスをとる闘いだった。
「大統領であっても、我々がある程度の責任を与えただけで平等な存在だ」。ムヒカは任期を終えると農夫に戻り、清貧な暮らしを楽しんでいる。我々が失った真の豊かさがここにはある。

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