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市長の手控え帖 No.38「風化と差別」

市長の手控え帖


大震災から8か月、ほどなく冬です。懸念していたことが現実味を帯びてきました。被災三県の中で、岩手・宮城は膨大な問題を抱えながらも、再建の槌音が聞こえます。遠く険しくても希望が見えています。福島にはこれがありません。原子力と風評に重い枷をはめられ苦悶しています。避難者は戻れるあてもなく、生きる意欲を失いつつある。戻れるあてがついても、普段の生活ができるまで何年かかるか見当がつかない。

頼みの政府は、肝心な除染した土砂等の処分場を決められない。このため市町村は仮置場の確保を急いでいるが難航している。県内に職が減り、若者は不本意ながら東京に出ざるを得ない。霧の中をさまよっています。

「福島の再生なくして日本の再生なし」と政府は言う。しかし、現実は、災害の復旧態勢はあまりに遅く、投ずる経費はあまりに小さい。「船頭多くして船山に上る」が如く目標が定まらない。被災地に寄り添い、救う使命を持つ復興大臣の横柄で上から見下ろす姿勢。大気と海中に大量の放射性物質を放出し、国際社会に詫びるべき政府が、事故の検証をしないまま原発の輸出を口にする。秋も深まるこの時期にお粗末な権限と人員で出発する復興庁。こういう対応でこの難局を乗り切れるのでしょうか。

マスコミは移ろいやすい。その性質からして、日々生起するニュースへ目がいくのは仕方ない。いずれ、「原発と福島の苦しみ」の報道が、大幅に減ることは避けられないでしょう。国民の意識も変わりました。上京するたび思うことは、道ゆく人が月を追うごとに明るくなり、やがて前のようにはしゃぎ始め、最近は災害そのものが口の端にのぼらないことです。残念ながら、風化と忘却が見え隠れしています。

こんな状態で一年たったらどうなるのでしょう。国の重要課題は、財政か普天間基地、あるいは総選挙か。マスコミにも隅の方に載るくらい。多くの国民は、せわしく過ぎていく日常に埋没する。地震・原発の惨禍が、目に見えて忘れ去られていくように思えて仕方ありません。しかし、私たちには、これから苦しい峠越えが始まります。避難民はいつまで仮の生活を送るのか。戻れないとしたら、どこの地で再出発するのか。人としての誇りと、生活の基になる仕事を提供できるのか。「美しい山河」をどう回復するのか。気がつけば、福島だけが取り残されていくという恐怖のシナリオを排除しなければなりません。

近頃、政府の一員から、福島はわがままで甘え過ぎとの声が出ているとか。東京電力も煮え切らず、暖簾に腕押し。逃げの姿勢にしか映りません。よもや、「所詮は福島という一地域のこと」と、小さく押しこめてしまうつもりではと疑ってしまいます。私たちは温順過ぎるのかもしれません。今は聞き分けのない駄々っ子にならねば。そうしないと、国も東電もテントをたたんでしまいます。福島の未来に責任を持つ者は、義のある喧嘩を避けるべきではないと思います。

大災害が想像を絶する悲劇をもたらし、人類が原子力の管理に失敗したことを歴史に刻み、日本再生のきっかけとするためにも、たやすく風化させてはいけません。

もう一つは、差別が表面に出てきたことです。京都五山送り火の薪・愛知の花火・大阪架橋工事の橋桁・・・。このところ、放射能汚染を恐れ、岩手や福島産の使用を拒否する事件が相次いでいます。いずれも悩んだうえでの判断ではないようです。だからこそ根が深いと言わざるを得ない。大災害、特に原発事故は、人の奥底に棲んでいる「差別」という陰湿なものを、白日に引き出してしまいました。白土三平の「カムイ伝」は、日本社会に潜む差別と抑圧の実態を見事に描いています。差別の根はいたるところに張られ、同和問題に象徴されるように、特に近畿では深いようです。

双葉から陸前高田までは約200キロメートル。東京と同距離で放射能の影響はわずか。にも拘わらず、東北というだけでこの反応はどうしたことか。拒否した人たちに東北をさげすむ視線がないことを願います。そういえば、さっさと職を投げた横柄な大臣は、「部落解放の父」と言われた松本治一郎の孫にあたるとか。命を賭け、差別をなくそうとした気高い精神を受け継ぐべき人の、何と悲しい振る舞いでしょう。

県外へ避難した方が、東北故に、放射能故にいわれなき差別を受けないことを祈っています。

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