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白河市の歴史

古代

「白河」の地名は、古く奈良時代の文献に確認できます。大化改新以後、陸奥国白河郡が置かれ、陸奥国と下野国の境には「白河関」が設置されました。これにより、白河は以後奥州の関門としての歴史的役割を担うことになります。

中世

鎌倉時代、白河庄は源頼朝のもとで活躍した下総国結城の武士結城朝光に与えられ、以後約400 年間にわたってその一族(白河結城家)が中世の白河を支配しました。中でも、南北朝時代に活躍した結城宗広は、奥州南朝方を代表する武将でした。
なお、白河結城家の本拠城は搦目の白川城でしたが、南北朝期には新たに宗広の嫡男結城親朝が小峰城を築いたとされています。

近世

豊臣秀吉による奥羽仕置により、白河結城氏は改易され、白河は会津領になります。蒲生秀行が領主の時代の 17 世紀初頭に小峰城や城下の整備がなされたと考えられます。
江戸時代初めの寛永 4 年(1627)、初代白河藩主となった丹羽長重は、小峰城の大改修や城下の整備を行い、現在につながる市街地の基礎を築いています。丹羽家以後、榊原・本多・松平(奥平)・松平(結城)・松平(久松)・阿部と 7 家 21 代にわたる藩主の変遷がありました。
中でも松平定信は、老中首座として「寛政の改革」を行い、藩内においては「白河関跡」の場所の特定や「南湖」の築造など、大きな業績を残しています。
なお、表郷地域、東地域及び大信地域の一部は、江戸時代中期以降、越後高田藩領でした。
慶応 2 年(1866)の阿部氏の棚倉移封により、白河は幕府領となります。慶応 4 年(1868)の戊辰戦争白河口の戦いでは、白河は新政府軍と奥羽越列藩同盟軍の戦いの場となり、小峰城内の主要な建物は焼失し、落城しました。

近・現代

版籍奉還に伴い明治 2 年(1869)に白河県、同 4 年(1871)には二本松県、引き続き福島県に含まれます。同 12 年(1879)に西白河郡が置かれ、同 22 年(1889)に白河町制を敷きました。
昭和 24 年(1949)には白河町、大沼村が合併して白河市制を施行し、平成 17 年(2005)にはいわゆる「平成の大合併」により白河市、表郷村、大信村、東村が合併し、新しい「白河市」が誕生しました。
平成 23 年(2011)に発生した東日本大震災では、本市も被災し、葉ノ木平地区では大規模な土砂災害が発生しました。

問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは歴史民俗資料館(文化財課)です。

〒961-0053 福島県白河市中田7-1

電話番号:0248-27-2310 ファックス番号:0248-27-2256

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