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市長の手控え帖 No.115「チョビ髭の二人」

市長の手控え帳

 

山高帽にステッキ。きつきつの上着に、だぶだぶズボン。ドタ靴にペンギン歩き。チョビ髭の放浪紳士は、世界の人々を笑いの渦に巻き込んだ。チャップリン。その動きには、パントマイムで磨きあげられた優雅さがあり、手足の動きで感情を豊かに表現できた。
1889年4月、ロンドンで生まれる。幼少期は極貧の生活。19歳で名門のパントマイム劇団に入り、寸劇の人気者となる。米国巡業で才能を認められ、俳優への道が開かれる。2作目で、あの独特のスタイルを確立した。人気はうなぎ登り、一躍時代の寵児となった。29歳でハリウッドに撮影所を作る。作品の配給会社も設立。自ら監督・脚本・主演・作曲まで手がけ、「笑いの王国」を築いた。
作風も、コミカルなドタバタ劇から、笑いの中に人間の孤独、情愛、尊厳を表現するものへと変化する。盲目の少女との魂の交流を描いた『街の灯』は、ユーモアとペーソスが織りまざった名作。『モダン・タイムス』は、人間が機械の一部となり、個人の尊厳が失われる現代文明を笑いで鋭く風刺した。
その頃、ドイツで一人の「役者」が国民の支持を得つつあった。人々を熱狂させる演説と、映像を駆使し救済者としてのイメージをふくらます。ヒトラー。チャップリンの4日後に生まれる。黒髪、小柄、チョビ髭。偶然とはいえ、二人は良く似ている。
ヒトラーは中流家庭の出身。まともな仕事につかず、放浪者のような日々を送っていた。若い頃に、ドイツ民族至上主義に傾倒し、ユダヤ人への敵意を持った。ナチスへ入り、すぐに党首になる。クーデターを起こし投獄。獄中で『我が闘争』を書く。ここに、東欧を征服し生存圏を拡大すると記されている。
巧みな弁舌と映像で、選挙のたびに躍進。1933年、首相の座につく。議会で、全権委任法を成立させ、独裁制をしいた。ナチスは最も民主的な憲法の下、正当な手続きで政権をとった。背景には、第1次大戦後の混乱があった。
領土の縮小、莫大な賠償金。経済は疲弊し、10人に1人は失業。国会では40もの政党が乱立し、足の引っ張り合い。国民の不満は頂点に達していた。その間隙をつくように、ナチスは民族の優秀さを説き、自信と誇りを取り戻す政策を迅速に実行した。国民はヒトラーにすがりついた。だが、ユダヤ人への迫害が始まり、狂暴性を露わにしてきた。
チャップリンは戦争の気配を感じとる。独裁への風刺と平和の願いを伝えようと、『独裁者』の製作にかかる。開戦前に脚本に着手、ドイツのポーランド侵攻直後に撮影が始まる。構想は、最も愛されている喜劇役者と、最も恐れられている権力者が瓜二つであることから出発している。だが、製作には困難が伴った。
総統を笑い者にされたドイツは、猛烈な妨害活動を行う。ドイツを刺激したくない政府や業界から、中止を求める声があがる。一般人から多くの脅迫状も届いた。だが、チャップリンの意思は揺るがない。喜劇王は、笑いとペーソスを武器に、映画というメディアの戦場で、比類なき扇動者に挑んだ。
チャップリンはユダヤ人の床屋と、ヒトラーの二役を演じた。ある事情で、床屋がヒトラーに間違えられる。"独裁者"になった床屋は、ラストで史上に残る6分間の大演説を行う。「自由であるべき人生は貪欲により汚され、憎悪が世界を覆った。感情を無視した思想が人間性を失わせた。知識より大事なのは思いやりと優しさ。人を愛することを知ろう。兵士諸君も自由のために戦うのだ…」。
二人の闘いは決着がついた。チャップリンの演説は世界に響き、ヒトラーの演説は激減する。チャップリンはユーモアで多くの人々に勇気を与えた。

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