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第十回「南湖神社創建(その一)」

南湖神社(なんこじんじゃ)の創建は、当時の川崎村(現泉崎村)の烏峠稲荷(からすとうげいなり)神社の社司(宮司)中目瑞男(なかのめみずお)によるところが大きい。
明治41年(1908)10月、松平定信(まつだいらさだのぶ)は生前の功績を称えられ、明治政府から正三位を贈位されました。この時、白河では祝賀祭が開催され、定信を顕彰する気運が生まれました。
中目は翌42年6月、伊勢神宮(いせじんぐう)を参拝した際、定信を祀(まつ)る神社の創建を思い立ちました。中目は以前から、白河には定信の歴史遺産がたくさんあるにも関わらず、定信を顕彰する碑や社が無いのを残念に思っていたのです。
中目は帰郷後、白河町の町会議員小出常吉(こいでつねきち)と町長藤田新次郎(ふじたしんじろう)を訪問して、南湖神社の創建を提案しました。藤田町長はこれに賛成し、神社建設に向けて動き出します。
その後、大正5年(1916)に大正天皇御大典記念として「楽翁公奉祀表徳会」(らくおうこうほうしひょうとくかい)が結成されました。中目は定信を敬愛する渋沢栄一(しぶさわえいいち)の援助を仰ごうと考え、同年5月2日、藤田町長をはじめとする代表者と渋沢を訪問しました。
藤田たちは、白河において表徳会を結成し、定信の遺跡である南湖公園内に神社を創建して、偉大な楽翁公(定信)の英霊を祀りたいと考えているので、ぜひ援助を頂きたいと懇請します。すぐに渋沢は表徳会の総裁となることを承諾し、自ら二千円の寄付を申し出るとともに、財界の有力者に寄付の勧誘状を書いてくれました。
同9年6月6日、南湖神社建設の地鎮祭が行われ、渋沢の代理の田中太郎(たなかたろう)が出席。翌10年5月5日の立柱祭には、渋沢も出席しました。こうして南湖神社の建設は順調に進み、同11年に社殿が完成したのです。

中目瑞男(南湖神社所蔵) 子爵渋沢栄一翁頌徳碑

▲中目瑞男(南湖神社所蔵)              ▲渋沢栄一の顕彰碑

文・中山義秀記念文学館 館長 植村美洋(当時)

広報しらかわ 令和3年(2021)10月号掲載

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