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第十二回(最終回)「江東区白河町の成立」

東京都江東区に「白河町」という町名があります。関東大震災後の区画整理で、松平定信(まつだいらさだのぶ)の墓所がある霊巌寺(れいがんじ)一帯の「霊巌町」が「大工町」に改称されようとした際、渋沢栄一(しぶさわえいいち)は、霊巌町は由緒ある名で、東京の恩人でもある定信が眠る地なので、残して欲しいと東京市に要望しました。
昭和3年(1928)、霊巌寺の定信の墓が国の指定史跡となり、定信の百回忌にあたる同4年(1929)5月に、渋沢たちにより楽翁公遺徳顕彰会(らくおうこういとくけんしょうかい)が創立され、渋沢自らが会長となっています。
戦後の昭和22年(1947)、東京都慰霊協会が設立され、顕彰会の事業を引き継ぎます。定信の慰霊はその後も続けられ、令和3年6月14日で192回を数えました。
慰霊協会は、勝海舟(かつかいしゅう)をはじめとする江戸・東京のために貢献した人物を顕彰・慰霊する団体です。七分積金の功績などにより、定信の貢献度の高さは誰もが認めるもので、定信に対する尊敬の念も多大でした。
そのような定信の恩に報いる政策が「白河町」の創設だったのでしょう。昭和7年(1932)5月14日、東京市から深川区(現江東区)に対して「東京市告示第百九十九號(ごう)」が出されました。これにより、同年8月1日から定信の墓所のある霊巌寺一帯が、定信が藩主をつとめた白河藩の名にちなんで「白河町」となったのです。
渋沢はこの前年の11月に亡くなっていますが、白河町の成立には、楽翁公遺徳顕彰会の建議が容認されたものであると言われています。

霊巖寺(松平楽翁公墓前祭 講演記録集」(東京都慰霊協会)より

▲霊巌寺(『松平楽翁公墓前祭 講演記録集』(公財)東京都慰霊協会より)

文・中山義秀記念文学館 館長 植村美洋(当時)

広報しらかわ 令和3年(2021)12月号掲載

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