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市長の手控え帖 No.199「古代に夢をはせる」

吉村作治はエジプト考古学の第一人者。人生の全てをエジプトでの発掘に捧げてきた。その原点は、ツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターの本との出会いだった。昨年11月末。NHKで『クフ王の墓はどこに? 吉村作治82歳の挑戦』が放映された調査中のけがで車椅子の生活を送るが、リハビリを続け2か月に一度は現地に通っている。

今挑んでいるのが、エジプト最大の謎
「クフ王の墓のありか」だ。通説では、紀元前2500年に建造された古代エジプト最大のギザのピラミッドとされている。だがそこからは、ミイラも副葬品も見つかっていない。吉村は近くの「西部墓地」にあると睨む。「ピラミッドの頂上から見たら、千もの貴族の墓の並ぶ中、ぽっかり空いている場所がある。」

吉村はピラミッドは墓ではなく、聖地を模した宗教施設だと推察する。この「空白地帯」にこそクフ王の墓につながる何かがある。ここは政府の許可が下りず、百年もの間手つかずだった。吉村はあくなき執念で20年間申請し続けた。エジプト政府は長年の功績を認め許可した。

 

発掘後すぐ、葬儀の際に用いる小さな土器を見つけた。また地中レーダーによる電磁波探査を行った結果「怪しい影」が映った。加えて、他の場所より岩盤の位置が深く、人工的に削った可能性もある。確たる証しとは言えないが、夢の実現に向けて士気は上がっている。

今は一人暮らし。曲がった背中で料理している。だが、老いのわびしさはなく、夢を追う少年のように輝いている。許可期間は過ぎたが慌てない。「クフ王は5千年近くもほったらかしにされているんだ。数年でうまくいく訳がない。僕の生きているうちに何とか入口を見つけたい!」

トロイ遺跡を発見したドイツの実業家ハインリヒ・シュリーマン。父から聞いたホメロスの叙事詩と、トロイ城が焼け落ちる挿絵が強く心に残った。アテネ・スパルタのギリシャ連合軍とトロイの戦いは、また「トロイの木馬」の策略は神話なのだろうか。いやそうではない!この手で真相を突き止めてみよう!

1851年、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアで銀行業を開始した。金の売買で巨額の利益をあげる。その後ロシアに渡る。ロシアとオスマン帝国とのクリミア戦争で鉛や硫黄をロシア政府に売り、巨万の富を得た。さあ調査の資金は用意できた。大学で古代ギリシャ文明を学び、住まいもギリシャに移した。

 

ホメロスは古代ギリシャの伝説的詩人。トロイ戦争の英雄アキレスとオデュッセウスの活躍を『イリアス』『オデュッセイア』の叙事詩にした。当時は、トロイ戦争は架空話とされていた。だが、シュリーマンの脳裏には、猛火に包まれたトロイの城塞が鮮やかに刻まれている。あれは実話だ。城塞の一部も宮殿内の金銀財宝も残っているに違いない。

さてトロイはどこにあるのか。『イリアス』に記された地形の描写から、ダーダネルス海峡に面したトルコ北西の地と推測。1870年、発掘開始。発掘には、相応の技術と緻密さが求められる。だが調査は杜撰だった。ある専門家は、発掘に興味のある商人が宝探しのため、闇雲に掘ったようなものだったと言う。

調査の成果はなかったが意欲は衰えない。委細構わず掘り続けると、ほどなく青銅製武器が見つかった。さらに金製の装身具類も発見。そして『イリアス』に記されているスカイア門に続き、焼け落ちた城塞の一部と、トロイ国最後の王「プリアモス」の財宝が見つかった。

シュリーマンの評価は分かれる。夢を叶えた偉大な考古学者か、功名心と虚言癖の強い山師か。ただ、トロイ戦争やミケーネ文明の遺跡発掘により、古代文明の解明に貢献したことは間違いない。吉村作治、シュリーマンとも夢追い人だ。

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