市長の手控え帖 No.187「輿論と世論」
世論調査。支持率が20%を切ると内閣は持たないとか、どの政党が伸びたとか。政治家は支持率の動向に一喜一憂する。調査結果がまさしく民意であれば当然なこと。だが「世論」の実態は曖昧だ。気分的なものと信条的なものとが混在している。代議制民主主義では、より多くの支持を得ようと甘い言葉を弄したり、利益誘導に走ったりしがちである。
古代ギリシャ・ローマ時代から大衆政治家はポピュリズムになびく。ポピュリズムは民主主義を歪めるという。だが民主主義の本質はポピュリズムであり、常に危険を孕んでいる。世論が理性的で十分な議論がなされた上で形成されたものであれば、健全に機能する。しかし歴史はそうでないことを示している。
ヒトラーは、最も民主的なワイマール憲法下で登場した。日本は、藩閥政治と激しく闘って獲得した政党政治を、政党間の醜い争いの中で自滅させた。チャーチルが喝破したように、民主主義は欠陥の多い政治体制である。しかし、これに勝る制度がない以上、これをどう支え、どう繕っていくかが問われる。
世論は"せろん"とも"よろん"とも呼ぶ。時代を遡ると輿論という言葉が一般的だった。明治政府の施政方針を示した『五箇条の御誓文』。その第一条に「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」とある。公論は「公議輿論」の略。公開で討議された公的意見を意味した。一方世論は、世の中の雰囲気・気分と捉えられ、有力者には否定的に映っていた。
福沢諭吉は、文明開化には活発な意見の表明が欠かせないとしながらも、ふわついた世論が社会の騒擾をもたらすことも熟知していた。原敬も「政治にとって輿論は背いてはならぬもの、喚起すべきもの。世論は無軌道で危険なもの」と記す。輿論と世論は対極にあった。
時代が下り、自由民権運動が起き政党の力も増してくる。さらに大正デモクラシーのうねりの中で、民主主義や自由主義の風潮が強くなる。公職選挙法が改正され有権者が増える。勢い政党は人々の歓心を買うためご機嫌とりに走る。民衆の輿論形成を使命とした新聞も全国紙となり、商業主義の傾向を強くする。
関東大震災の後、輿論は次第に世論化していく。満州事変以降の戦争体制の中で、理性的「輿論」は感情的「世論」の中に飲み込まれていった。戦後、当用漢字表で「輿」は使用を制限された。世論の中に公論も気分も包含されてしまった。
そもそも世論や民意はうつろいやすい。それは空気に似ている。山本七平は『空気の研究』の中でこう記す。戦艦大和の特攻出撃は、無謀とのデータと根拠を押しのけ「空気」によって決定された。日本人は論理的な議論の結果ではなく、得体の知れない「空気」なるものに支配され、意志決定を拘束されている。
"空気を読む""その場の空気では…"今でも空気に左右される社会は変わっていない。加えて、SNSの爆発的影響、社会の安定と民主主義の担い手となる中間層の衰退、価値観の多様化等により、民意はさらに流動化している。
特にSNSは社会への鬱憤、他者への歪んだ誹謗中傷、真偽を問わない情報の拡散…など、節度のない私的感情が飛び交っている。本来、誰にも開かれているはずの公共空間に、私的気分が堂々と侵入している。公的なものと私的なもの、理性的なものと感情的なもの、真理と虚偽の区別がつかない。これこそ民主主義の危機につながるのではなかろうか。
現実には公論と私論は入り混じっている。だが敢えて輿論と世論を峻別したい。空気に流されず、冷静で客観的視点を持とうとする自覚が今求められている。5画の「世」より、17画の「輿」を綴る労力と時間を厭わない骨の折れる営為に耐えることが、民主主義の基礎になるから。
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