白河関跡【しらかわのせきあと】
古関蹟碑
白河関跡全景(南上空から)
指定種別 | 国指定 史跡 |
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指定年月日 | 昭和41年9月12日 |
所在地 | 白河市旗宿関ノ森ほか |
所有者 | 白河神社・白河市ほか |
白河関跡は、東北本線白河駅から南方約12kmの山間に位置しており、栃木県境からは約3km北の地点にある。
ここに南北約300m、東西250mで面積約58,000平方メートル、標高410mほどの丘陵があり、丘陵上には白河神社が祀られている。
白河関については、8・9世紀頃に書かれた文献資料にその名の記載がみられる。
承和(じょうわ)2年(835)12月3日の太政官符(『類従三代格』)に、「白河・菊多両剗」について、俘囚の出入りと官納物資の通行取締りを長門国の関に準じてすべしとの記述がある。また、これには「旧記ヲ検スルニ剗(せき)ヲ置キテ以来、今ニ四百余歳」とあり、この当時、関の設置年代は5世紀前半頃と認識されていたようである。
これより先、延暦18年(799)12月10日の太政官符(『河海抄』)に「白河・菊多剗守六十人」の記述がみられる。
10世紀に入り、律令国家の崩壊とともに、官関の機能は失われ、「白河の関」は歌枕として都人の憧景の地へと変化する。
寛政12年(1800)に白河藩主松平定信が考証の結果、空堀・土塁が残る現在地が白河の関であると断定して「古関蹟」の碑をこの地に建てた。
昭和34年から5ケ年にわたって、ここが関跡か否かを実証的に確認することを目的として発掘調査が実施された(関の森遺跡)。この調査においては、竪穴住居跡や掘立柱建物跡、土坑、柵列などが確認され、特に竪穴住居跡を中心に8・9世紀の土師器や須恵器、あるいは鉄製品が出土している。そして、調査において確認された遺構・遺物、遺跡の立地的考察から、ここが白河関跡の条件にかなう点が多く、国史跡として指定された。
関跡の年代については、発掘調査の成果や白河関跡の記載がみられる文献資料の成立年代などから考えて、機能していたのは8・9世紀頃と考えられる。
地図を見る:白河関跡
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