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南湖公園【なんここうえん】

南湖公園(東から)

南湖公園(東から)

南湖十七景詩歌碑

南湖十七景詩歌碑

指定種別 国指定 史跡及び名勝
指定年月日

大正13年12月9日

(追加指定:昭和59年6月18日・平成21年2月12日・平成27年10月7日)

所在地 白河市南湖ほか
所有者 白河市ほか

南湖公園は、JR東北本線白河駅より南へ約3kmに位置し、東西最大幅で約850m、南北約800mで、面積は約400,000平方メートルである。この中に湖面面積約177,000平方メートルの南湖がある。

この地はもともと葦(あし)・茅(かや)が生い茂り、大沼と呼ばれていた低湿地帯であった。

白河藩主松平定信が幕府の老中職を退いた後の享和元年(1801)、この低湿地の狭い東側の堰堤を改修し、築堤した。
南湖という名は唐代の詩人李白が洞庭湖に遊んだ折に詠んだ「南湖秋水夜無煙」という『李太白文集』巻20の一節からと、定信の居城である小峰城の南方にあることから名付けられたと言われる。

遠くは西方の那須連峰、近くは東南方の関山を眺望とし、鏡の山・月待山・小鹿山の丘陵に囲まれている。定信は湖畔に松、吉野の桜、嵐山の楓を取り寄せ、松虫・鈴虫を放し、湖に魚を放流し、藩士の水泳・操船のためにも使用したと伝えられる。また、鏡の山には茶亭「共楽亭」を建て庶民にも開放し、定信自ら庭園内に関の湖・鏡の山・共楽亭などの十七の景勝地を選び、諸国の大名や文人に詩歌を求め、歌碑を造らせている(南湖十七景詩歌碑)。園内には現在南湖開鑿(かいさく)碑をはじめ多くの歌碑・句碑・記念碑などが建っている。

湖水は灌漑(かんがい)用として利用され、今の池下・鬼越などを開発し、それを学田新田と称し、その収益は藩校立教館の経営資金に充てられたという。

定信が庭園の手法を用いて造営したものは、江戸築地の浴恩園や小峰城内の三郭四園などがあったが、南湖のみ現存する。多くの大名庭園が城内や邸内に築かれているのに対して、定信の「士民共楽」の理念をもとに庶民にも開放された場所である。

※ 南湖十七景詩歌碑(和歌・漢詩)の詳しい解説は下記をご覧下さい。

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