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市長の手控え帖 No.44「神に近づいた二人」

市長の手控え帖

桜の頃も過ぎ新緑の季節です。昨年を思うと桜を賞で、緑を楽しむ日々の暮らしが、いかにいとおしいものであるかを感じます。

色々ご心配をおかけしましたが、原子力損害賠償もひとまず落ち着きました。説明のつかない線引き。客観的・公平に行ったと態度を変えない文部科学省。国で決めた区域外は支払えないと逃げる東京電力。厳しい交渉の末、白河の放射線量の高さを認め、東電が賠償に応じた。これに加え、原子力災害への応急対策として県に積んである基金を充てることで矛を収めた。悲惨な事故を起こした当事者意識に欠ける国・東電の姿勢には、今もって腹立たしい限り。今度の件で、自らの地域は自らで守る、理不尽なことには声をあげ行動に移すことの大事さを身をもって知りました。

大正から百年。この年に生を終えた人に陸軍大将乃木希典がいる。いわずと知れた日露戦争の立役者。教科書に美徳を謳われ、神社にも祀られ、乃木坂という地名もある。苦難の末旅順の「永久要塞」を落とし、奉天でも勝利。凱旋将軍として歓呼の声で迎えられる。敵兵への寛大な処置、敗軍の将ステッセルを武人として遇し、その名誉を守った振舞いは、国際的にも讃えられた。明治天皇の信任厚く、昭和天皇を養育する学習院院長の指名を受ける。従二位・勲一等・功一級・伯爵。目もくらむ栄誉です。

しかし、心の内には寒々とした光景が広がっていた。旅順では策を講じないまま、機関銃の前に死者の山をなす。兵士の勇敢さと忠義に頼りすぎた。乃木は後悔の念に苛まれ、漢詩「凱旋」にこう謳う。「戦死者は山のよう。どの面さげて兵士の親御さんに会えよう。凱旋の今日 何人帰ったか」慙愧の告白である。後ろめたさと自責から日本に帰りたくないといった。帰国しても、晴れがましい舞台には立たなかった。乃木は二人の息子を失った。長男は渡満の前、次男は旅順攻撃で。次男死すの知らせに、「よくぞ戦死してくれた。これで世間に申し訳が立つ」と述べたという。

遡ること30年、乃木には生涯の痛恨事があった。連隊長として出陣した西南戦争で、天皇から賜わった軍旗を敵に奪われた。切腹ものと、ひどくこれを恥じ、その後ずっと死に場所を探していたといわれる。長州閥の庇護の下、順調に出世したが、決して有能ではなかった。台湾総督時にも文官と衝突し途中で辞任するなど、指揮・軍略・統治いずれをとっても、盟友児玉源太郎には及ばない。しかし、人間としての高い精神性・純粋さでは他を圧している。

大正元年9月13日。明治天皇大葬の日、静子夫人とともに自刃。やっと時を得、安らかな心境で逝ったものと思う。乃木の無私で、愚直なまでのひたむきさ。その気高い魂に人は頭を垂れ、やがて神となった。

この年に生を受けた人に双葉山がいる。いまだ破られぬ69連勝。不世出の大横綱。しかし双葉山は常人を超える素質には恵まれていない。それどころか、幼い頃右目を失明、右小指の先はない。ただ「どの力士より一枚だけ強い」と脱帽させる。わずかに上回る技と体。しかし「心」で大きく上回っていた。若いうちは一進一退、うっちゃり相撲も少なくなかった。いつしか右四つからの寄り、投げの型ができる。しかも、常に受けて立つ。立ち遅れたかに見えても、すぱっと右四つに組み止める。誰も及ばない「後の先」の境地に達した。

ここまで漕ぎ着けるには名力士玉錦の存在があった。全く歯がたたない先輩を破らんとの必死の稽古。力が入れ変わり王者が誕生した。打倒双葉の意気に燃える出羽一門は秘策を練る。まともでは無理と「けたぐり」や「変化」にかける。しかし、仕切りを重ねるうち、双葉山の悠揚迫らぬ態度に呑みこまれる。「半端相撲で勝っても意味がない」と思い直したとのこと。すでに土俵人格で勝負あり。外連をしかけようとする相手に恥と思わせる威光。双葉山は、目の前の力士ではなく、相撲の神と向き合っているように思える。

70連勝潰えた日、心の師に「我、いまだ木鶏たりえず」と嘆いたという。その若さにして、常人にはたどり着けない「精神の高み」に自己を昇華させた。双葉山は、不動の心を養い相撲道を極めようとした。神に近づいた伝説の力士です。

写真で二人の顔を見る。双葉山は求道士のような威厳と風格をたたえている。乃木は心の鏡に己の姿を映し、全てをさらけ出している。いずれも立派な風貌。今は肩書きは一流だが貧相な人ばかり。生活が豊かになるにつれ品性は失われていった。乃木・双葉山のような人格と風貌を持った人物をと願うのは無理でしょうか。

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