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市長の手控え帖 No.90「橋の意味するもの」

市長の手控え帖2

家が倒れた。道が壊れた。城が崩れた。熊本地震に胸がえぐられる。特に熊本城の被害は気が遠くなるほど。熊本市やマスコミから、小峰城復旧の問い合わせが相次ぐ。震災後、私たちは手探りの中、ひとつひとつ壁を乗り越え、知見を蓄えてきた。城は誇りと文化の象徴。だからこそ、時間と労力をかけ、じっくり取り組むよう、本市の体験を伝えたい。
橋の崩落にも息をのんだ。橋は人を運び、荷を運び、情報を運ぶ。急峻な地形の日本には河川が多い。海上には米粒のような島が連なる。これをつなぐ橋は、暮らしに欠かせない。一日も早い再建を切望する。
一方、橋には文化的意味がある。此岸と彼岸の異質な世界をつなぐ。何かが出会い何かが生まれる。古代から「はし」という言葉はある。橋・梯・端・箸の漢字があてられた。梯は神と人を縦に結び、橋は人と人を水平に結ぶ。箸は食と口の間を渡す。端は出入り口。人と人、時間と場所の隔たりを表わす間を「はし」と読む説もある。橋は、宗教・美術・文学と深く関わり合っている。
橋は境界である。広重の江戸名所百景には、よく太鼓橋が出てくる。人が通れないほど半円形に湾曲している。大阪の住吉大社はさらに急カーブ。鶴岡八幡宮も白河の鹿嶋神社も容易に渡れない。渡ることを拒否しているようにも見える。太鼓橋は人と神の世界を分けている。だから神社の入口に置かれる。
橋を渡ることは別の世界への旅立ちになる。東海道五十三次が、江戸日本橋に始まり、京の三条大橋で終わるのは、決して偶然ではない。別の世界とは、日常性を超えたものであり、しばしば異形の者と出会う場となる。牛若丸が荒法師弁慶と会うのが、寺ではなく、五条大橋なのもこれを暗示している。
近松門左衛門の傑作の「心中天網島」。義理と愛に縛られた治兵衛と小春の道行き。クライマックスが、名残りの「橋づくし」。天神橋、梅田橋、天満橋・・・。ひとつ橋を渡るたび冥土に近づく。山の端が白くなる頃、終焉の地網島へ。橋は生と死の境界になる。
橋は出会いと別れの場。藤沢周平に「橋ものがたり」という短編がある。様々な人が、行き交う江戸の橋を舞台として、男と女の出会いと別れが描かれる。町の様子や、懸命に生きる市井の人々の喜怒哀楽が、いきいきしている。まるでその時代に入り込んだようだ。
橋は造形美の象徴。京都の渡月橋。曇りがない夜空に、月がさながら、橋を渡るように見えたことに由来する。ゆったりした桂川の流れ。桜・紅葉と季節ごとに見事な色を織りなす嵐山。この橋は景勝地の風景のひとつに納まり、自らを誇示していない。黄金分割になっている嵐山と渡月橋は、美しさが際立つ。
岩国の錦帯橋。清流錦川にかかる五連の木造アーチ橋は、大きく美しい。上は頑丈な組木、下は堅固な石垣積み。城を造る気概と技術の粋をこらした。河原から見ると空に虹が架かったよう。まわりの景観を従え、堂々としている。
心に残る橋もある。面影橋。都内で唯一残る路面電車の、早稲田駅にほど近い。神田川にかかる小さく特徴のない橋。だが懐かしいチンチン電車の風景と音。甘く切ない南こうせつの「神田川」の世界。これらが交じり合い、叙情的な雰囲気を醸し出している。
アメリカ橋。目黒と恵比寿の間の跨線橋。米国万博で展示された橋を買い取り架設した。何の変哲もない。それが山口洋子の詩でドラマになる。かつての恋仲が偶然再会する。青春のひと時を思い起こすが、元に戻るには時がたち過ぎている。昼と夜が交わる黄昏時。未練を振り切るよう、コートの衿を立て橋を渡る。神田川もアメリカ橋も、私の好きな曲だ。

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