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市長の手控え帖 No.134「縁側の思い出」

市長の手控え帳

 

山口百恵の『秋桜』。「縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を…」。嫁ぐ娘と母の細やかな情愛と寂寥感が伝わる。縁側には温かく懐かしい響きがある。陽のあたる縁側に寝ころび、少年雑誌を読んだあの頃。木の温かさとほっこりした気分は、今も身体に残っている。友達とベーゴマで遊んだ後は、縁側に腰かけ野球や相撲の話に熱中する。庭と縁側は子どもの楽園だった。
近所のばあちゃん。″ちょっくら休んでいくべ″祖母と雑談。沢庵をかじりながら、嫁や亭主の悪口、世間話で2時間…。実に楽しげだ。野良着姿のおばさんと母。姑への恨み言や子どもの自慢、肌に合わない人たちの陰口も。そうか、大人にも派閥があるんだ!
柳行李を背負った行商のおばさんは、越中富山の薬売り。縁側で弁当箱を広げる。煮物とお茶を用意する祖母。京風訛りと白河弁。何が面白いのか大笑いしている。土産の紙風船を手に、異文化のやりとりを聞いていた。縁側は交流と安らぎの場。そこは何故か女人の世界。男衆は部屋で酒を飲み、ぐだを巻いていた。
縁側は、座敷の外側に沿う細長い板敷。建物の内と外との境目にあるゆとりの空間。雨戸の内側で廊下を兼ねるのが広縁。外側にあるのが濡れ縁。縁側は高温多湿な日本の気候と深く関わる。古来、日本式住宅は柱と梁が中心で、壁は最小限必要なところに限られている。
雨戸や襖、障子を取り払えば、すこぶる風通しがいい。『徒然草』にも「家の作りやうは、夏をむねとすべし 暑き比悪き住居は堪へ難き事なり。」とある。極めて開放的で、夏向きの住まいが標準だった。また縁側は日差しを避け、雨風から守り、寒さを和らげる環境コントローラー。春は庭の花を愛で、夏は涼しい夜風にあたる。秋の夜長は月を楽しみ、冬は純白な世界に心を洗う。季節の情緒を肌で感ずる最適な場所。
そして日向ぼっこをしたり、孫を遊ばせたり、針仕事をしたり、干し柿を吊るしたり。気の置けない人が集まり語らう。縁側という、内でも外でもない曖昧な空間。ここは生活の場であり、垣根を越えて人と人の縁を結ぶ場であった。
日本の家から、上がり框や縁側といった中間領域が消えた。人の気配を感ずる屏風や襖も少なくなった。縁側のような″無駄″を排した建築や高層住宅が増えるにつれ、生活の匂いが消え、自然との一体感が失われてきた。 
「縁側は家内か外か黒揚羽」。縁側は蜻蛉や蝶、虫たちの小劇場。蟻が黒い隊列を組み、カナチョロが駆け回る。蝶は周りをヒラヒラと。蜻蛉は縁を越えてスイスイ部屋に入る。縁側は格好の鑑賞席であり、自然の一部になっている。
寝たきりで激痛に耐える正岡子規。六尺の病床の先には濡れ縁と庭が続く。ここから季節の変化を敏感に感じとった。濡れ縁は、四季の草花への通い路であり、子規の精神は豊かな世界へ広がっていた。原爆症に苦しむ永井隆医師。病に臥し『長崎の鐘』を書いたのが如己堂。″己の如く隣人を愛せよ″から名付けられた小さな木造家屋は2畳1間。一畳は病室兼書斎。一畳は2人の子ども用。
多くの人の善意で建てられた宝物、なに狭いことがあろうか!庭に面して濡れ縁がある。訪ねてきた人の応接の場になり、兄妹の語らいの場にもなった。病床から焼野原の彼方に、ほのかに黄を帯びた麦畑が見える。もうすぐ麦刈りが始まる。そうだ、希望がここにある!永井にも、縁側から外に広がる世界があった。
ロンドン留学中の漱石。手紙に「日本に帰ってからの楽しみは、蕎麦を食べ、和服で日のあたる縁側に寝ころんで庭を見ること」と記す。優しい光の中でのまどろみは至福の時。縁側は心身を解き放ち、自然に溶けこむ特別な場所だ。

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