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市長の手控え帖 No.138「李登輝と武士道精神」

市長の手控え帳

 

 台湾の李登輝が亡くなった。台湾初の総統直接選挙を実施し、独裁制から民主体制へ移行させた大功労者。自由と民主の国づくり。その強い意思が台湾人としての意識と誇りを植えつけた。
 「私は22歳まで日本人だった。私の人格と教養は日本の教育でつくられた」と言う。旧台北中・高校から京都帝大農学部へ進む。この間、古今東西の古典に触れる。人間とは、人生の意義とは…哲学的思索に耽る。特に新渡戸稲造の「武士道」に触発された。広く深い愛情に裏打ちされた仁の心、惻隠の情。李は生涯この武士道精神に支えられた。
 戦後、大陸から外省人が移住。当初歓迎したが実態は不法集団。汚職、詐欺、暴行。品性も何もない。「犬去りて豚来たる」。日本人は番犬として役に立ったが、外省人はただ貪り食うのみ。1947年2月28日。その横暴さに台北で反乱が起き、全土に広がる。軍隊がこれを鎮圧し、3万人弱が死亡。李は間一髪、難を逃れる。2年後、蒋介石が毛沢東に敗れ台湾へ。戒厳令を敷き、少数の外省人が大多数の本省人を支配する恐怖政治が続く。
 李は米国留学で民主主義の重要さを学ぶ。だが、それは心の奥底に潜めた。いつ魔の手が伸びてくるか分からない。20年間、ゆっくり眠ったことがないという。あくまで農学者に徹した。時代は移る。米中の融和で、雪崩をうつように各国は中国と国交を結ぶ。孤立する台湾。高まる中国の圧力。本省人の不満も増大。
 蒋介石の息子、蒋経国は現実派。本省人を要職に就けないと政権維持は難しい。目にとまったのが李登輝。副総統に抜擢。図らずも政治の世界に導かれる。これも運命か。蒋の急死で総統に就任する。「さあ台湾の大掃除だ!」。とはいえ、政治・軍の中枢は全て外省人が押さえている。学者に何ができるか?と冷笑。
 だが李は蒋の下で力を蓄えていた。苛烈な時代を生き抜いた精神力、自由と民主への情熱は、驚嘆すべき力を発揮する。まず独裁を容認する憲法の条項を削除する。法律上、野党の存在を認める。終身制に近い国会議員を、慰労金を餌に引退させる。厄介なのは軍。軍を牛耳る人物を行政院長(首相)にする。昇格の体裁をとり、軍への影響力をそいだ。
 次第に外堀を埋めていく。国を思う真心に支えられた見事な政治手腕だ。仕上げが総統の直接選挙。阻止したい中国はミサイルで威嚇。軍のクーデターもありうる。果たして平和に行えるのか。
 李登輝は訴える。我々は長い間、外来政権の支配に耐えてきた。「台湾人の運命は台湾人で決めよう!」。あふれる誠意と信念が民の心を捉えた。圧勝。一滴の血も流さない静かな革命が起きた。民主化と共に力を入れたのが"我々は台湾人である"という意識の醸成だった。
 それには教育だ。以前の教科書は大陸の歴史や文化だけ。台湾には殆ど触れず、日本統治時代の善政も全て否定した。"台湾を知ろう"と教科書を全面改訂する。日本への抵抗運動や民衆抑圧を記述。一方、日本が経済発展や義務教育の普及、衛生の向上に多大な貢献をしたことも記す。李は台湾の歴史、日本統治の実態を冷静かつ複眼的に見つめた。
 現在、自分たちを"台湾人"だと意識する人の割合は70%にのぼる。国の一体感が確立しつつある。李は退任直前、中国の反発覚悟で、中台は"特殊な国と国の関係"との二国論を提起。「一つの中国」の原則では、いつか大陸に呑みこまれるとみた。自由が奪われつつある香港の現状を、予見していたかのようだ。
 "大木に粗っぽく目鼻を彫ったような"大人の風格。武士道精神の鎧をまとった白馬の騎士が、台湾を救った。生前"遺灰は新高山にまいて欲しい。最も高い山から台湾を見守り続けたい。"と口にしていた。李登輝は実に偉大だった。

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