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市長の手控え帖 No.142 「思い出の只見線」

市長の手控え帳

 

「人は移動する動物」。コロナにより移動の自由は大幅に制限された。実に苦痛だ。ひと時、ローカル線の旅に思いを馳せ、心を癒すのはどうだろうか。
五能線、三陸鉄道、只見線、大井川鐵道、飯田線…。川沿いを、海辺を、花畑を、山岳を、緑野をいく。大自然の美しさ、長年かけて作られた里山、ささやかな人の暮らしがそこにある。
只見線は、会津若松市と新潟県小出町を結ぶ。延長135キロメートルに36の駅がある。昭和の初め、会津坂下まで開通し、順次会津川口まで延長された。会津川口から只見までは田子倉ダム建設用の工事線を改良し、国鉄に移管。小出から本県境までは戦時中に開通。残るは両県にまたがる只見・大白川間。そびえたつ険しい六十里越にトンネルを通す難工事だ。
当時の国鉄は既に赤字経営。この上さらに赤字路線をつくるのかと反対論が相次ぐ。「ちょいと待て、ここは日本一の豪雪地帯。国道が止まれば陸の孤島になる。命を守るのに損得勘定などあるものか!」。田中角栄のだみ声に沈黙した。1971年8月全線が開通した。
ローカル線が似合う人は誰か。寅さんだろう。瓦屋根の町並み、縁日の賑わい、夕暮れの寺の鐘、裏街の木賃宿、山あいの温泉。経済成長で消え、取り残されていく懐かしい風景の中を旅する。
只見線は『男はつらいよ』39作目のロケ地になっている。例のとおり、寅さんは夢をみている。無理やり宇宙船に乗せられ、うなされている。"おじさん大丈夫?"と女子高生に声をかけられて目を覚ます。ここが会津を鎮護する伊佐須美神社のある会津高田駅の待合室。
次はおもちゃのような根岸駅。少し山の方に入ると寺がある。弘安寺。中田の観音様、別名"ころり観音"と親しまれている。参拝すると長患いせず、コロッと逝くという。野口英世の母も息子の安泰を願って月参した。ほんの数秒だが、お寺と「名物ボータラ」を売る門前の店の前を寅さんが通るシーンがある。
次は会津柳津駅。歩いて10分の所に圓藏寺がある。只見川を見おろす崖の上に立つ寺は壮観だ。1200年の歴史を持つ名刹で、丑寅生まれの守本尊。門前町には赤ベコ、桐下駄、湯気の立つ粟饅頭の店が並ぶ。さくら夫婦に揃いの下駄を送ろうとするが金が足りない。苦笑いする寅さん。テキヤという商売柄、寺社と縁が深い。帝釈天で産湯を使った寅さんにとって、寺社回りは巡礼のようなもの。
開通の2年後。ある秋の晴れた土曜日、一人旅をした。一泊分の用具とワンカップ、文庫本を鞄に詰め、昼過ぎの列車に乗る。会津盆地は、はぜがけの稲束の波。秋の稔りに乾杯!柳津に入ると山がせまってくる。只見川が山あいを縫うようにゆったり流れている。渓谷と紅葉が織りなす絶景の地へ誘うように。
柳津から三島。三島から金山へ。只見川に沿いつ離れつ走るこの一帯は桃源郷のようだ。窓一杯に広がる紅葉。いくつも架かる鉄橋の美しさは国内屈指。ごとん、ごとん。心地よく響く音は子守唄のようだ。ロマンチックな風景に自然に酒もすすむ。結局本の出番はなかった。
長いトンネルを抜け終着駅に着いた。もう4時半を回っていた。さあ今夜の宿だ。数軒あたったがどこも一杯。寝る所さえあればと懇願。女将さんが困惑気に"女中部屋なら…""結構です"。屋根裏部屋は狭くて暗い。風呂から戻ると仲居さんが夕膳を運んできた。ろくに話もせずそそくさと出ていく。私は不審者か?。旅の疲れですぐに眠った。夢の中では高級ベッドもせんべい布団も同じだ。
翌日も好天。決して安くない宿賃を払う。周辺を散策後、駅弁とビールを買い昼前の列車に乗った。戻り旅で少しだけ本を読んだ。奥会津紀行は生涯の思い出として心に刻まれている。

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