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市長の手控え帖 No.143 「なかにし礼と満州」

市長の手控え帳

 

昭和20年8月11日、午前10時。満州牡丹江の青い空の彼方から、突如爆音が聞こえた。ソ連の侵攻だ!略奪、暴行。酒造とガラス業を営む中西家は全てを失う。将校はわれ先に逃げる。母の機転で姉と禮三(なかにし礼)はハルビン行きの列車に乗れた。だが敵機が襲いかかる。隣りの男の人が頭を撃ち抜かれる。
ハルビンに着く。男性は強制労働へ。一家は収容所へ押し込まれる。ここでは凍え死ぬ。母の決断で安アパートに潜り込む。金はなかにしの胴巻に縫い付けてあった。母と姉は物売りをして飢えをしのぐ。父は過酷な労働がもとで亡くなる。ソ連兵が去り、中国共産党がくる。人民裁判と称して日本人を射殺する。子供を売れと迫る中国人。国が壊れる恐ろしさは7歳の少年の心に刻まれた。
ある日、母が笑顔で「日本に帰れるよ」と。あぁ解放される!だが自分の故郷は満州。心の内は複雑。大連対岸のロコ島に着く。ここから引揚船が出る。砂山を登ると青い海の沖に船が見えた。1年2か月の逃避行は、なかにしの人間を見る中核となり、鋭い感受性のもとになった。
実家の小樽へ。東京から青森。また東京へ。転校の繰り返し。まるで根無し草。高校でクラシックにひたる。卒業後、先輩からシャンソン喫茶を紹介され、ボーイとして働く。恋、洒落、哀愁。シャンソンの豊かな世界に引き込まれる。やがて訳詞を始める。旅先で偶然、石原裕次郎に会う。「シャンソンをやめて、日本の流行り歌を書いたら」と促される。
ある時、菅原洋一から作詞の依頼がきた。"あなたの過去など知りたくないの…"。繊細な女心を表現豊かに描いた。特異な美意識と表現力。洪水のごとく詞があふれ出る。『恋のフーガ 港町ブルース天使の誘惑 心残り…』。黄金の70年代はなかにしの時代だった。
詞には秘かに満州が投影されている。『恋のハレルヤ』。喜びの言葉で失恋を歌う。ハレルヤには、ロコ島の青い海と希望が込められている。『人形の家』"ほこりにまみれた人形みたい…捨てられて忘れられた部屋のかたすみ"。満州に置き去りにされた絶望が織り込まれている。
『石狩挽歌』"海猫が鳴くからニシンが来ると 赤い袖筒のヤン衆がさわぐ…今じゃ浜辺でオンボロロ"。ニシン漁で賑わう祝祭の気分と、衰退した寂寥感を、老婆の目を通して語られる文学性の高い作品だ。なかにしの詞は、万葉集からの日本文学の精神を受け継いでいた。
『時には娼婦のように』は衝撃的だった。不道徳、ふしだら。歌手も尻ごみする。ならばと、自ら曲も作り歌った。"バカバカしい人生より バカバカしいひとときがうれしい"。満州の生き地獄を見てきた目には、人間の下劣さとどす黒さが消えない。不道徳な詞を書けるのも、軟派で不良な時を楽しめるのも平和だから。多くの屍の上に築かれた平和を守る気持ちは、人一倍強かった。
裕次郎から「俺に歌を書いてくれ」と頼まれる。本人は病に苦しみ、最期が近いことを悟っていた。"鏡に映るわが顔にグラスをあげて乾杯を たった一つの星をたよりに はるばる遠くへ来たもんだ…わが人生に悔いはない"。大スターはこれを口ずさみ旅立った。同時に自らの流転の人生に想いを馳せていたのだと思う。なかにしの歌の原動力は、昭和という時代への愛と憎しみ、そして満州を想う望郷の念だった。
平成に入り、小説の世界に舞台を移す。破天荒な兄とのすさまじい確執を描いた『兄弟』。直木賞に輝いた『長崎ぶらぶら節』。子供を守り、満州から帰還するまでの母の壮絶な物語を綴った『赤い月』。これを書くために生きてきたという。"流行歌とは、世の良風美俗に一服の毒を盛ることさ"。なかにし礼は実体験をもとに血を流しながらものを書いた人だった。

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