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市長の手控え帖 No.149「ポンチ絵と言葉の力」

市長の手控え帳

 

小学校の頃。学校で習ったことを得意気に母に話した。要領を得なかったのだろう。「ポンチ絵にしてみな」。ポンチ絵?何やら面白そうな響き。大学生の頃、『平凡パンチ』という週刊誌があった。はらたいら、ジョージ秋山、赤塚不二夫の漫画やグラビアで評判だった。パンチ?ポンチと縁があるのではないか。
そうだった。幕末に英国人が風俗漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊。漫画で政治や世相を風刺し、揶揄した。いつしかパンチが訛ってポンチになり、時局風刺画として庶民に定着した。特に国会開設を求める自由民権運動が広がった時代、盛んにポンチ絵が使われた。明治10年、民権運動を支持する『團團珍聞』が創刊され、風刺画で人気を博した。
最後の浮世絵師小林清親。文明開化の東京を光と影、光のゆらめき、色彩の変化で抒情的に描いた。明治14年、突如ポンチ絵に転向。元幕臣。政府に批判的。『清親放痴』シリーズを描くとともに『團團珍聞』の挿絵も担当した。だが、憲法発布により、ポンチは次第に風刺のエネルギーを失っていった。
風刺や寓意がこめられたポンチ絵の意味も変わってきた。今は、もっぱら分かりやすく簡略した図絵のことを言う。皮肉なことに、かつて風刺の対象だった官庁街でポンチ絵文化が残っている。法律や政策には難解な言葉と長い説明文がつきもの。作成する官僚の労は多とするが、読むのも骨が折れる。そこでポンチ絵に頼りたくなるのも分かる。
パソコンの発達で、精細で凝ったデザインも多い。優れた図表の作成は、官僚の必須能力になっている。講演会でもスライドを用いるのは当たり前。テレビでもポンチ絵風の図を多用する。
だがご用心!文章や言葉より、ポンチ絵に比重を置き、事足れりとするのは危険。図表に含まれる情報には限りがある。図表がうまくできていると、法律や政策の完成度が高い印象を与える。時に、見た目を良くし、不都合なことをぼやかす目的があるのではと勘ぐってしまう。
政治家や官僚は、言葉で論理的かつ厳密に理解し、それを易しく説明するのが仕事。企業人は、効果とリスクを冷静に分析し、投資計画を明確に表現することが務め。何かを決めるには、長い文章と斬り結ぶ姿勢が欠かせない。そこから思考力と行間を読み取る力が養われる。いい文章からは、自然に情景が浮かび、香りすら漂ってくる。ポンチ絵はいらない。
国際学習到達度調査で、日本の読解力は大きく低下した。各新聞とも「国語力が落ちた」「文章を作れぬ若者」と警鐘を鳴らした。道筋に沿って考え、理解するる力。言葉と言葉をつなぎ議論する力。読解力の低下は、国語力・コミュニケーション能力の劣化を意味する。
背景には言葉の断片化がある。SNSでは、用を足すだけの、呟くだけの、仲間内だけの短い言葉が飛びかう。断片的な言葉への反応は共感か反発。まともな議論は成立せず「共感の原理で動く」。共感は人間の大事な能力。これなくして社会は維持できない。だが共感や情緒が勝りすぎると危険だ。熱に浮かされ、あらぬ方向に走り出してしまう。
今、論理と共感がほどよく共存する社会が必要だ。国語は全ての学びの基礎。日本語で考え、書き、読み、話す力が求められている。国会は、武器を言葉に代えて議論する場。だが実態はSNS状態。深い教養に裏づけられた言葉の闘いは望むべくもない。コロナの中、我慢を説くメルケル首相。情理に満ちた言葉は国民の心に響いた。これこそ言葉の力。
国語には民族の誇り、文化、伝統が根づいている。ユダヤの民は、二千年流浪しながらもヘブライ語を失わなかった。日本を守るのは日本語だ。豊穣な日本語の森を散策する愉しみを共有したい。

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