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市長の手控え帖 No.154「ロシアの抱える恐怖心」

市長の手控え帳

 

ロシアがウクライナで破壊と殺戮を行っている。大義なき戦いであり、人道上の罪だ。同時に世界秩序と民主主義への挑戦でもある。民主陣営は一歩もひいてはならない。強力な軍事支援を行い、さらに厳しい経済制裁を課すべきだ。
ロシアという概念が誕生したのは9C。始まりは、キーウ大公国という東スラブ人のゆるやかな連合体。キーウや、ドニプロ川沿いの町々を拠点としていた。南のビザンティン帝国から取り入れたギリシャ正教は、ロシア的風土の中で深く根づいた。公国の一部は北東のモスクワ周辺に移る。だがここは防禦に弱い。四方は平地で、山や大河、砂漠等の自然の要塞がない。南部に広がる大平原の道から、常に騎馬民族が狙っている。
1237年モンゴルが怒涛の勢いで攻めこむ。以降250年「タタールの軛」といわれる忍従の時代を過ごす。これを通して、暴政と窮乏に耐える力が養われた。一方侵害に対し、強い恐れを抱くようになった。モンゴル支配から脱すると守勢から攻勢に転ずる。「拡張こそが生き残る道」がロシアの宿命となった。
1533年イワン雷帝が登場する。"ロシア最初の皇帝"は残忍さと狡猾さで、東はウラル、南はカスピ海、北は北極海に領土を拡大する。その後百年でシベリアから太平洋に至る。18C初頭、英雄が現れる。ピョートル大帝。バルト海への窓を開け、黒海から地中海に勢力を伸ばし、清朝と国境を定めた。西欧から産業、軍事、官僚制度を導入した。東欧の弱小国をユーラシアの大国へ押し上げ、専制君主体制を完成させた。19Cに入ると列強の一角を占めるまでになった。
ロシアは果てしなく広い。しかし決して恵まれていない。大半はツンドラとタイガ。気候も惨めなほど厳しく、土地もやせている。貿易や軍事上欠かせない大きな海への出口もない。北極海やウラジオストクは年の数か月氷結する。黒海から直接大洋へは出られない。不凍港の確保は昔も今もロシアの悲願だ。
外敵は西の方からくる。1605年にはポーランド、1708年にはスウェーデンが。そして1812年には三色旗を掲げナポレオンが、1941年には鉤十字のヒトラーが侵攻する。だが無敵の軍もロシアの奥深さに呑みこまれた。長い兵站線を維持できず、また冬将軍に耐えられず敗退した。特にナチスとの闘いでは天文学的犠牲者を出したこともあり、西側への恐れと不信感は一層高まった。
社会主義の国も内実は変わらない。スターリンは極めて残虐な皇帝だった。ソ連は大戦後、周辺国を支配下におき、西欧との緩衝地帯を設けた。だが経済の低迷や軍事費の負担に耐えられなかった。賢明なゴルバチョフは、ソ連邦体制の限界を悟り冷戦終結を宣言した。
プーチンはゴルバチョフを「地政学的惨事」を招いたと忌み嫌う。彼はロシア帝国の復活を夢見る。ヒトラーに似た世界観を持つ力の信奉者。かつての衛星国が次々とNATOに加盟する。恐怖が募る。ウクライナに親欧米政権ができると、電撃的にクリミアを併合した。欧米の対応は生ぬるく、それが今回の悲劇につながった。プーチンの目に米国は介入せず、西欧は腰がひけていると映った。
戦前にも同じことがあった。ヒトラーがドイツ人保護を名目にチェコスロバキアへ進駐。英国首相チェンバレンは戦いを避けるためこれを容認した。ヒトラーの目に映ったのは英国の弱さ。もう英国の介入はないと判断しポーランドへ侵攻。後継のチャーチルは、ヒトラーを信頼する愚と彼の戦争への決意をとうに見抜いていた。「ナチスには屈しない!」
プーチンは領土拡張に憑りつかれた暴君だ。力による現状変更を許してはならない。今こそ民主勢力を結集し、チャーチルの「力の外交」を展開すべきだ。

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