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市長の手控え帖 No.156「ある劇場の閉館に想う」

市長の手控え帳

 

飯田橋の佳作座。銀座の並木座。池袋の文芸坐。学生運動の真っ只中。休講を幸いに名画座に通った。高倉健の任侠もの。妖精、ドヌーヴの『シェルブールの雨傘』。二人組の強盗の逃避行を描いた『明日に向かって撃て!』。密輸で儲けた若者がハーレーで大陸を放浪する中で、アメリカの現実を知る『イージー・ライダー』。吹き荒れる学園紛争を背景に男女の恋愛を描く『いちご白書』。
ロシア革命に翻弄される医師の愛と波乱の人生を描く『ドクトル・ジバゴ』。地平線まで広がるひまわり畑。ウクライナを舞台に戦争で引き裂かれる男女の愛と別離を描く『ひまわり』。ソフィア・ローレンの大きな目からこぼれ落ちる涙。今のウクライナ人の悲しみに重なる。
昭和43年12月10日。銭湯のお姉さんから頂いた招待券を手に下宿の伊藤先輩(前長崎市長)と新宿に向う。雨になりタクシーを拾う。ラジオから「府中で強奪事件発生」と流れる。3億円事件だった。人の心に潜む不条理を描く『異邦人』。よく理解できなかったが、歌舞伎町のビールとカツカレーは美味しかった。
神田神保町。古本屋と学生の街。交差点のビルの最上階に岩波ホールがある。多目的用に作られた劇場を映画専用としたのが高野悦子。元々映画監督を志し、パリ高等映画学院に留学した。オーナーは義理の兄の岩波雄二郎。"金のことは心配するな。自由にやっていい"。
1974年。高野はここを拠点に「世界の埋もれた名画を観てもらおう」とエキプ・ド・シネマ(映画の仲間)運動を始めた。それまでは娯楽大作を大劇場で公開するのが一般的。メジャーな映画ではなく、アジアやアフリカの良質なものを。欧米の作品でも大手会社が取り上げない名作を上映した。世界中の作品から選ぶのは苦しくも心弾む作業だった。
ヒットするかどうかより質の高い作品を。誤解や偏見は対立を生む。映画を通し知られざる国の真の姿を伝えたい。会員の割引制度を設け、機知に富んだ宣伝を行う。難解な作品にも若者は集まる。『家族の肖像』『大理石の男』『旅芸人の記録』『8月の鯨』等は大ヒットした。
岩波ホールはミニシアターの先駆けになった。昼食をはさんで観る長編や31週連続上映の作品もあった。小劇場でのアート系映画が、商業的にも成立することを示した。80年代次々にミニシアターが誕生した。東京は、パリやニューヨークに匹敵する映画都市になった。
地方からも「観たい映画が上映できる劇場を」の声があがる。1984年、山形市に日本初の会員出資による独立系映画館フォーラムができた。3年後福島市にもオープン。大きなホールで人気映画を、小ホールでアート系を上映する。すぐに私は会員となり、映画の世界に浸った。一時近くにシネマコンプレックスができ、存続を心配されたが、経営者の創意と市民の熱い支援で乗り越えた。
時代は変わる。岩波ホールの入場者は減ってくる。会員の高齢化。シネコンの普及。ネットフリックス等の動画配信の拡大。話題性の高い映画以外は映画館に足を運ばなくなった。そこにコロナが追い打ちをかけた。ほぼ客足は止まった。歴史ある岩波ホールは今月末で閉館することになった。残念でならない。
情報技術の発達は、映画館を駆逐している。人々は教養としての映画から遠ざかりつつある。社会はより分かりやすく、より面白いものを求める風潮にある。それは人間や地域、文化の多様性を失うことになりはしないだろうか?
照明が消える時のワクワク感。暗闇の中で共有する沈黙と感動。社会の役割や人間関係から切り離された"ただの自分"に戻れる空間。映画館は色とりどりの物語との出会いの場であり、豊潤なアナログの魅力に溢れている。

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