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市長の手控え帖 No.163「食堂車の愉しみ」

市長の手控え帳

鉄道開業から150年。鉄道は近代化の象徴。大正末には全国に張りめぐらされた。驚くべき速さとはいえ、新橋~神戸は20時間を要した。当然腹が減る。明治18年、宇都宮駅でおにぎりと沢庵を竹皮に包んだ弁当が売られた。22年には、姫路駅で白飯にかまぼこ・焼魚・伊達巻の幕の内弁当が作られた。その後続々と特徴のある弁当が登場。駅弁は旅の必需品であり愉しみの一つとなった。

明治32年。私鉄山陽線の京都~三田尻(現・防府)の急行列車に食堂車が連結された。提唱したのは創業者の中上川彦次郎。三井財閥の大番頭で、明治を代表する実業家。叔父、福沢諭吉の勧めで英国に留学し鉄道業を学ぶ。急行列車や寝台列車を導入した。山陽地帯は人口が多く、産業力もあり採算はとれると判断。また豪華客船が周航する瀬戸内航路への対抗策でもあった。

各社は、競って食堂車を設けた。当初は一・二等車の富裕層を対象にしていたが、鉄道が国民の足として定着したことから三等車にも拡大された。食堂車は、庶民にも手軽に利用できるようになった。

 

戦後、経済成長路線をひた走る。食堂車を接続した長距離特急や寝台車が列島を疾駆する。1975年、新幹線は博多まで延び食堂車が設置された。この頃が全盛期で席待ちの行列ができた。食堂車は出張の疲れを癒したり、まだ見ぬ土地への想いを馳せる特別な空間だった。

ある年の9月広島へ出張した。快晴に心うきうき。富士山の見える頃に食堂車へ。洋食とビールを注文。青空に屹立する霊峰に感激。移動日でもあり酒が進む。新幹線は酔いが早いのか、飲みすぎなのか?酩酊。ウエートレスが"そろそろ時間です…"体よく追い出された。

新幹線は北へ海へと延びる。速度も本数も増す。一方、特急や寝台車は減少し食堂車も消えていく。2000年、新幹線からも消えた。新幹線は移動時間を短縮し、利便性は格段に向上した。だが在来線は廃止されるか、自治体中心の運営になった。また窓の景色を眺めながら食事し、語らう旅の愉悦を失った。

好きな番組に『世界の車窓から』がある。車窓の風景や人々の風情から、お国柄が滲み出ている。速度やゴージャスさを競っていない。列車の旅を通して、幸せは富の多寡ではなく、ゆとりや誇りにあることを教えてくれる。超高速のリニアに旅情は感じない。"より遠く・より速く…"で人は幸せになるものだろうか?

 

 

食堂車が消える頃、北斗星が登場した。食堂車の名は"グランシャリオ(北斗星)"。夜汽車好き、食堂車好きの血が騒ぐ。札幌行きの機会を得た。真夏の黄昏時。夢の列車が滑りこむ。陽は沈み空が魔法の色に染まるマジックアワー。フランス料理にはワインだ!隣の紳士淑女は静かに食事。我々も上品にいこう!だが地は隠せない。浮かれ騒ぎが最高潮に達した頃「時間です…」真夏の夜の夢だった。

対抗するように、大阪から日本海を北上し札幌へ至る、トワイライトエクスプレスが開業する。1500キロ、22時間の旅。正午前に出発し、三食を味わえる唯一の列車。北陸に沈む夕陽は美しいだろう…。"走るレストラン"で至福の時を夢みていたが、実現しなかった。夢で終るからこそ想いがふくらむ。

ほどなく、観光に特化した周遊型超豪華列車がデビュー。客車・食堂車・展望車も贅をこらした走るホテル。「ななつ星」が先陣を切り「瑞風」「四季島」が続く。一泊数十万でもすぐに完売。だが待てよ、これを旅というのだろうか。

一方、第三セクターやJRでも美食と景観の列車を運行している。軽井沢~長野の"ろくもん"や、新潟~酒田の"海里"等は郷土料理と眺望を堪能できる。地方の列車には、ささやかながら土地の誇りと鉄道本来の愉しみが詰めこまれている。

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