市長の手控え帖 No.189「百貨店は甦るか?」
百貨店は斜陽産業。日本に限らず、先進国諸都市に共通している。渋谷の東急はなくなり、西武にも昔の勢いはない。三越や高島屋といった老舗もかつての輝きはなく、他社との統合等で経営を維持している。県内でも福島中合は数年前に閉店。会津中合も店仕舞いして久しい。辛うじて郡山うすいが奮戦している。
デパートは田舎人の憧れ。上京し程なく、スラックスを買おうと新宿伊勢丹に向かった。重厚さが漂う店。入ったとたん、煌々と照らされた大空間と圧倒的な品揃えに目がくらんだ。軽い財布。釣り合うものを探したが容易に見つからない。高鳴る心臓。女性の店員さんが「どんなものをお探しですか」「はい、あのその…」逃げるように店を後にした。
ショッピングモールや安売り量販店に人が流れている。栄枯盛衰は世の常。百貨店は歴史の彼方に消えていくのだろうか。そうは思えない。『老舗』の価値はそう簡単に失われるものではない。百年・二百年と続く店。そこには幾多の試練を乗り越え、築かれてきたかけがえのない『信用』が、人々の心の奥に刻まれている。
百貨店の原点はパリの"ボン・マルシェ"。経営者アリスティド・ブシコーは、1852~70年代にかけて事業を拡張した。産業革命の波及で商品が大量に流通し、購買力のある中産階級が増える。ナポレオン3世の命で、セーヌ県知事オスマンがパリ大改造を進めた。幹線街路や歩道が整備され、乗合馬車の運行が始まった。買い物の足が確保された。
入ったら買わなければならない。価格は交渉して決める。つけ払い。商品に欠陥があっても返品できない。この商法をブシコーは覆した。入退店自由・定価表示・現金販売・返品可。また「人は必ずしも必要だから買うのではなく、夢のような空間に置かれた商品に欲望が刺激されるから買う」ことを見抜いていた。
それには、足を踏み入れた瞬間、壮麗さと煌びやかさの虜にするような異次元の空間でなければならない。彼はパリの中心に、鉄とガラスの巨大な空間を持つ店舗を建設した。優美な曲線を描く階段、吹き抜けの玄関ホール。ガラス屋根から燦然と射し込む太陽の光が商品群を眩しく照らす。誰もが催眠術にかかる。
さあ客を引き寄せよう!バーゲンセール・大売り出し・目玉商品…。当時全盛期だったジャーナリズムを活用し、興味を引く宣伝・広告を行った。これが消費者、特に女性の潜在的欲望を刺激した。
日本最古の百貨店は三越日本橋店。江戸時代から呉服店を営んでいたが、1904年、百貨店宣言をした。「当店販売の商品は今後一層その種類を増加し…米国に行わるるデパートメントストアの一部を実現すべく候」そして百貨店を遊園地のように楽しく、消費は美徳とのイメージを植え付けようとした。
三越は都市文化を取り込んでいく。美術展、演劇、博覧会、少年少女音楽隊。これに刺激され、名古屋松坂屋、京都大丸でも少年音楽隊が誕生。東急の前身の白木屋では、少女音楽隊を結成。弦楽器やピアノ演奏だけでなく、少女歌劇も行った。これが阪急電鉄の小林一三による宝塚少女歌劇団につながる。
日本でも百貨店の変遷は社会の変化に連動していた。資本主義が浸透し、事務職・役人・商工業者の中産階層が生まれた。"今日は帝劇、明日は三越"。富の中心が上流から中流に移る中、三越は巧みな販売戦略で業界をリードした。百貨店は、高級店で買い物をしたという充足感を満たす特別な存在であり続けた。
今、各地で古民家や町家の修復再生が盛んに行われている。老舗の持つ魅力をまちづくりに活かす取り組みといえる。日本橋は商業地としての賑わいを取り戻しつつある。百貨店には「古さ」を「新しさ」に変える適応力が備わっている。
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