市長の手控え帖 No.196「鉛筆への想い」

『男はつらいよ』寅さんが、セールスマンになった甥の満男にお手本を示そうと、手近にあった鉛筆をどう売るかを実演してみせる。まず、思い出語りから始める。「鉛筆を見るとお袋の姿を思い出す。火鉢のそばに座って、子供たちのために肥後守(小刀)で鉛筆を削っている。木の削りかすが、火鉢の火で燃えていい香りがする。俺はその鉛筆で落書きばかりしていたけれど、鉛筆が短くなると、その分頭も良くなった気がした」
向田邦子の随筆。「夜更けにご不浄に向かうと耳馴れた音がする。茶の間をのぞくと、母が私と弟の筆箱を並べて鉛筆を削っていた。夜の廊下は暗くて気味が悪いのだが、母の鉛筆を削る音を聞くと何故かほっとした」ある年代以上の方なら、誰しもこれに似た思い出があろう。
記憶の彼方にある木造の古い校舎。黒板とチョーク、ノートと鉛筆。黒板の字を書き写す。足し算、引き算をする。芯が減ると、折り畳み式のナイフで木地を削り芯を整える。誰もが貧しい時代。1本の鉛筆を握れなくなるまで使う。最後にはキャップをかぶせて書いたものだ。
私は不器用。削り方も雑。筆圧が強く、HBでは芯が折れてしまうから太く削る。私のところに嫁いできた鉛筆は可哀想。初めはすらっと端正な姿をしているのに、たちまち不格好になる。だが私にはこれが合っている。今どき、鉛筆を使う人は少ない。削るのも電動器。まして小刀で削る人など、まずいないであろう。
私は時流に乗れない"鉛筆派"。罫紙に4Bの鉛筆。元の文章に横線を引き、その上に別な言葉を置き換えたり、書き加えたりする。これで原文と修正文の比較ができる。ただ芯が太いので字も大きくなる。すると罫紙の余白がなくなる。そこに修正文を書き込むから、黒一色になり、自分でも判読するのに苦労する。
議会答弁書に手を入れる。職員が芯の先が揃った鉛筆を並べてくれる。でも美形の鉛筆は手になじまない。こっそり小刀で木肌を長く削り、芯を太くする。姿は良くないがよく働いてくれる。脳からの指示が指先から鉛筆に伝わり、作業も捗る。やはり慣れたものがいい。
勿論筆が進まなかったり、リズムが悪くなることもしばしば。そういう時は鉛筆を削る。サクサク…。いい香りが鼻腔をくすぐる。僅かな時間で心が落ち着く。バラバラになりかけた脳細胞がまとまってくる。寅さん同様、鉛筆を削るごとに"利口"になっていくような気がする。
ノートも貴重だった。やたらに落書きできない。自由に書ける紙があれば…。当時、役所や学校では、やや黄色味がかった粗末な紙を用いて簡易な印刷をしていた。裏は使われていない。ある縁で使用済みの"わら半紙(ザラ紙)"を頂けることになった。大きなザラ紙は漢字や数字、好きな歌詞で埋め尽くされた。
穴ぼこだらけの古い机。新聞紙を敷きその上に紙を置いた。筆圧の強さはザラ紙に書いているうちに身についたのかもしれない。万年筆も好きで、特定のものを愛用している。軽く握るだけで滑らかにペンが走る。インクの匂いもいい。だが鉛筆の感触と匂いには及ばない。
美空ひばりの『一本の鉛筆』。「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く。一本の鉛筆があれば八月六日の朝と書く。一本の鉛筆があれば人間のいのちと私は書く…一枚のザラ紙があればあなたをかえしてと私は書く」1本の鉛筆と1枚のザラ紙で、悲しみと希望を綴れる!
AIにDX。コスパにタイパ。効率が優先される。だがそれは幸せを意味しない。辞書を開き言語を探す。それを鉛筆で書き写す。じっくり本を読み、音楽や名画にひたる。その時間と感動が心を豊かにする。1本の鉛筆と1枚の紙で自分の心と対話してみよう。様々な想いが生きた言葉となり、白紙を埋めるだろう。
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