市長の手控え帖 No.198「里山に育まれる感性」

猪の被害に加え、最近は熊が農村集落に姿を現し、街の中にも出没するようになった。人と熊とを分けていた里山の管理が行き届かないこと、森林が荒れていることが原因のひとつだ。猪や熊が人の目に触れてきた分、長く人間になじんできた生き物が姿を消した。生活の"近代化"が人と動物の距離を遠くした。
経済成長が始まる前、私たちの周りには多種多様な生き物がいた。夏のある日。青大将が悠々と窓格子から土蔵に入っていく。追い払おうと石を投げる。すると祖母が「いじめるんじゃない。蛇は土蔵の鼠を捕ってくれる守り神なんだぞ」。真っ暗な土蔵に、チロチロ舌を出している蛇がいると思うと、背筋が寒くなった。何か悪さをすると「土蔵に入れるぞ」の一言で、ピタッとやめたものだ。
皐月の頃。表門の天井に毎年燕が巣を作る。人の目に触れ、地上からの丈もある。だが蛇には障害にならない。獲物を狙いスルスルと這っていく。親は鳴き騒ぐ。私は必死で石をぶつけたが、あざ笑うかのように雛を呑みこむ。ぷっくり膨れた腹をした蛇は壁伝いに消えていった。
高校生の頃。ある日、温和で姿のいい大型の犬が舞い込んできた。チンと名づけた。母の傍らにはいつもチンがいた。田植えが終わると、どの家も我が田に水を引こうと必死。夜通し、水の番をすることもしばしば。ある晩、母の代わりをした。煌々と月が照っていた。夜も更け冷えてくる。腹這いになっているチンに凍えた体を寄せた。実に温かかった。
チンにはライバルがいた。縄張りを巡り何度も争った。相手はひと回り小さいが、若くて俊敏。気も荒い。ある時激しく戦った。老犬は深い傷を負い、ほどなく亡くなった。曾祖母(ミネ)も母も泣いた。眺めのいい山すそに埋葬された。
農家にとって馬は家族も同様。馬小屋は最も陽当たりのいい場所にあった。餌やりは私の当番。押切で藁を細かく切り、小糠と水を混ぜ合わせる。黙々と食べる顔をさすると頭を上下させていた。生まれた馬は売られる。馬喰に引かれていく子馬の姿に、ミネさんは泣いていた。
鶏を飼っていた。真っ赤なとさかをふりふり、餌を啄んでいた。朝、小屋に行くと産みたてのつやつやした卵があった。まだ温かい卵を割ってご飯にかける。その美味しいこと!悲しいかな、老鶏は解体され、もっぱらお客のご馳走に供される。熱湯をかけ羽をむしるのが私の役割。鶏肉は楽しみだったが心は複雑だった。
田は多くの生き物に満ちている。小魚、ゲンゴロウ、アメンボ、ミズカマキリ…。長靴で入ると泥に取られる。裸足になり、作業を終えると脛のあたりがむず痒い。次第に赤くはれ、痛痒くなる。ヒルだ。田の吸血鬼は手強い。水の入口があれば落とし口もある。夕方、ここに竹で編んだ籠を仕掛ける。翌朝行くと、ドジョウ、鮒、鯉が入っていた。
舗装前の用水路には鯰もいた。そっと手探る。手応えはあるがするりと逃げられた。追いつ追われつし、やっと捕まえた。まるでヘミングウェイの『老人と海』のよう。改修前の川。釣り糸がぐっと沈む。さっと竿をあげると細長いモノがかかっていた。蛇か?何と鰻だった。
夏、オニヤンマが家を偵察するように飛び回る。蚊帳の中の蛍の光に見とれる。秋、夕焼け空に赤トンボが群れ飛ぶ。作詞家松本隆は東京青山の育ち。オリンピック前は田畑も小川もある長閑な土地だった。魚を釣り、トンボを追いかけた少年の感性が瑞々しい詞を生んだ。
人間には五感で得た体験が刻まれている。人や動物の生態を体と心のセンサーで感知し、鋭い感性を生む。今、生成AIの偽動画や偽情報が氾濫し、社会の足元が揺らいでいる。一層巧妙化する"偽"を見抜く力は何だろう。理性や知識よりも、体験から来る感覚なのであるまいか。
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