市長の手控え帖 No.190「夜の社交場」
「僕が初めて 君を見たのは 白い扉の小さなスナック…」『小さなスナック』が流行っていたのは上京した頃。都会風で洒落た響きの店に憧れたが、学生時代はもっぱら居酒屋通いで縁がなかった。福島市に強く記憶に残るスナックがあった。その店は、繁華街からいくらか離れた路地の一角に、ひっそり佇んでいた。
7人程度のカウンター席に4人用のテーブルが2つの質素な店。さっぱりした気性のママさんを慕い人が集まる。ひと仕事終え、はしゃいだ夜。先輩に頭が高いと叱られた夜。仕事が捗らず愚痴った夜。部下の悩みに気の利いた助言ができなかった夜。いつしか顔なじみになり交友が始まった夜。ここはサロン、社交場、学び舎だった。同時に、家でも職場でもない第三の居場所だった。
スナックは経営者のママが一人。カウンター越しに酒と会話を提供する。たいていカラオケがある。"おかえり""いらっしゃい"ママの前ではただの「客」。社会的地位や経済力に関係なく、誰でも平等に話ができる。"ママの下の平等"スナックは、小さな公共圏となっている。
スナックの誕生は最初の東京オリンピックの頃。その起源は戦前のカフェにある。明治44年、銀座にプランタンが開店。パリのCafeをモデルに、市民が自由な意見を交わす公共の空間となった。女性が給仕をする店もあったが、コーヒー、軽食が主体。接待を伴うようになったのは、関東大震災以降のこと。
誰もが入れるカフェはやわらかな公共圏。文学、音楽、政治を論じ見知らぬ者がつかの間隣り合い語り合う。今はスナックが継承している。スナックはまたコミュニケーション力をつけ、人間関係のさばきを身につける場でもある。江戸時代には遊里がその役割を果たした。
本居宣長は若い頃京都でさんざん遊んだ。その経験から「世慣れ、円熟した」者こそが「物のあはれ」を知ると説く。大学者は議論好きで高慢な人を嫌い"やわらか"で風雅を備えた通人を称揚する。宣長の伝でいけば、夜の巷に遊ぶ紳士は、人情に通じ粋でなければならない。
通人となるための教師は花街の女性たち。高い教養を身につけ人情の機微をわきまえていた。今ならさしずめスナックのママか。「ママ」も賢くなければ勤まらない。気配り上手に聞き上手。客をやんわりたしなめ、そっと励ます。傷を負った戦士たちに子守歌を歌う聖母だろうか。ママは夜の社交場の主役と言える。
18世紀以降、英仏のコーヒーハウスで政治や文化が討議され、市民の公共圏が生まれた。だがスナックはそういう場ではない。社長に労働者、商店主や農業者。昼では交わらない人々が対等な形で出会う場。だが、全く私的とは言い難い共同性で結ばれている。夜の紳士は酒に酔い歌を楽しみつつ、一定のルールの中で闊達な会話を交わす。夜のとばりの中で居心地のいい公共圏ができる。
学者らが「スナック研究会」を作り学術的研究をしている。これによると、図書館とスナックの多い地域では犯罪が少ないという。人のつながりが抑止になっている。だがスナックは激減している。コロナ禍前は約7万軒あり、コンビニより多かったが、5万軒を切った。
多くの店は80年代に開店。常連の団塊の世代も年を取った。スマホ世代は家にこもる。コロナで足は止まり社会のつながりが薄れる。スナックの危機!それは社会の危機でもある。飲んで歌うだけならスナックでなくてもいい。そこに行くのは人が渇望する何かがあるからだ。
熟年層に長く親しまれた店が閉じた。店内もママも昭和の雰囲気に溢れていた。椅子に座るとすーっと心が軽くなった。複雑で厄介な世の中を渡るのは難儀なこと。人はつかの間、心の荷物を下ろし、憩いの場を求めているのだろう。
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