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白河舟田・本沼遺跡群【しらかわふなだ・もとぬまいせきぐん】

指定種別 国指定 史跡
指定年月日 平成17年7月14日(下総塚古墳・舟田中道遺跡・谷地久保古墳)
(追加指定) 平成22年8月5日(野地久保古墳)
所在地

白河市舟田中道(下総塚古墳・舟田中道遺跡)

白河市本沼岩井戸(谷地久保古墳)

白河市本沼野地久保(野地久保古墳)

所有者 白河市ほか

白河舟田・本沼遺跡群は、下総塚古墳・舟田中道遺跡・谷地久保古墳・野地久保古墳の4遺跡で構成される。本遺跡群と白河官衙遺跡群は、半径2kmほどの範囲に分布している。これらの遺跡は、大化改新前後における地方豪族の足跡を、遺跡のつながりとして確認することができる事例である。

舟田・本沼遺跡(2).pdf

                         白河舟田・本沼遺跡群位置図

下総塚古墳【しもうさづかこふん】

阿武隈川右岸の、標高315mほどの河岸段丘上に立地する。江戸時代から「下総塚」の名が付された古墳である。昭和7年(1932)に岩越二郎が石室の測量を実施、平成8・9年(1996・1997)には、ほ場整備事業に伴う発掘調査、さらに平成12~14年(2000~2002)には、国史跡指定を目指して確認調査が実施された。調査の結果、本古墳は基壇を有する前方後円墳で、墳長は71.8mを測り、横穴式石室を埋葬施設とすることが明らかとなった。年代は、出土遺物などから6世紀後半に位置づけられる。

古墳の規模・形状、埴輪の存在から被葬者は文献にみられる「白河国造」の可能性が考えられる。

下総塚古墳(南上空から)

下総塚古墳(南上空から)

舟田中道遺跡【ふなだなかみちいせき】

遺跡は下総塚古墳と同じ河岸段丘上に立地する。平成8~11年(1996~1999)に、ほ場整備事業に伴い発掘調査を実施し、古墳時代から平安時代の集落跡とともに、一辺約70mの溝で区画された豪族居館跡を確認した。

居館跡の区画溝は、辺の中点やコーナー部に張り出しを有する。区画溝より内部には、柵列が存在し、さらにその内側には竪穴住居跡などが数棟存在している。

居館跡の時期は、区画溝から出土した遺物により6世紀後半~7世紀前半頃に位置づけられ、下総塚古墳の被葬者の次代を担った「白河国造」の本拠と考えられる。

舟田中道遺跡(西上空から)

舟田中道遺跡(西上空から)

谷地久保古墳【やちくぼこふん】

阿武隈川の左岸、標高350mほどの南に面した谷部に位置する。

大正15年(1926)に岩越二郎が石室を測量、昭和58年(1983)には関西大学考古学研究室が測量調査を実施している。

平成13・15年(2001・2003)には、市教育委員会が国史跡指定を目指した内容確認調査を実施した。

調査の結果、近畿地方の終末期古墳に共通した特徴を有する、横口式石槨を埋葬施設とし、墳形は二段築成で築かれた直径17mの円墳であることが明らかとなった。

古墳の時期は、横口式石槨を持つ古墳の例を参考として、7世紀後半~8世紀初頭頃に位置づけられる。被葬者については、古墳の構造の特異性などから、古代白河郡の郡司などの盟主層と考えられる。

谷地久保古墳(南上空から)

谷地久保古墳(南上空から)

野地久保古墳【のじくぼこふん】

谷地久保古墳の南東450mに位置し、東に張り出す丘陵頂部の先端部に立地している。

平成16年(2004)に発見され、平成20年(2008)に市教育委員会が調査を実施した。墳丘の上部及び東側は削平されているが、墳丘に葺石をもつ上円下方墳であることが判明した。下方部の規模は一辺16m、上円部は直径10mを測る。

谷地久保古墳と同様に横口式石槨を埋葬施設としており、当地域では同じ谷に特異なあり方を示す古墳が複数存在することは、この地が古代白河郡における盟主層の墓域であった可能性が考えられる。

野地久保古墳全景

野地久保古墳(南西から)

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このページに関するお問い合わせは文化財課 文化財保護係です。

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