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市長の手控え帖 No.126「クジラの命に感謝して」

市長の手控え帳

 

鯨が好きだ。市役所の近くに、今どき珍しい鯨料理を出してくれる店がある。全国各地の銘酒とともに味わう竜田揚げは格別だ。口にするたび、中高生の頃を思い出す。あの時代、食卓に最も多くのぼったのが鯨だった。高校の弁当のおかずは、決まったように油で甘じょっぱく焼いた鯨肉。鯨肉は、安くて貴重なタンパク質をとれる庶民の日常食だった。
やがて、食卓や居酒屋から鯨が消え、牛や豚が主役となる。鯨の流通の激減が最大の理由。戦後、鯨資源の保存と捕鯨産業の秩序ある発展を目的に、国際捕鯨委員会が設立された。鯨の保護を声高に主張する英米や豪州ら、反捕鯨国に押され、商業捕鯨は全面禁止となる。
商業捕鯨の再開を主張する日本への非難は「捕殺方法が残酷。絶滅する。知能の高い鯨をとる野蛮人」。おかしな話だ。反対するのは、かつて鯨を絶滅寸前まで追い込んだ国々。彼らは、灯油や機械油の脂肪にしか関心が無く、肉・骨・内臓は全て捨ててしまう。大西洋では17世紀半ばに獲りつくされ、競い合うように太平洋に乗り出してくる。
日本近海は、親潮と黒潮が合流する。魚が集まる宝の海であり、これを追ってくる鯨の海。19世紀には、米国が世界最大の捕鯨国となる。ハワイを主力基地とし、多くの大型船団が蝦夷、鹿島灘、熊野灘を目指す。捕鯨船の銀座で、ジョン万次郎ら漂流者の救助も急増した。
遠洋での航海には、薪水や食料が欠かせない。不足分を目と鼻の先にある日本に求めるのは当然なこと。ビジネスとして、日本を物資の補給基地として確保したい。だが、鎖国令に触れることを恐れる日本は拒否。いかなる理由であれ、異国船の来航を許さない「打ち払い令」を発した。業を煮やした米国は、武力を背景に開国を迫る。
自らも捕鯨船員だったメルヴィルの小説『白鯨』にこうある。「もしあの二重にかんぬきをかけた国が、外国に門戸を開くことがあるとすれば、その功績は捕鯨船にのみ帰せられるべきであろう。事実、日本の開国は目前に迫っている」と。出版の2年後、ペリー艦隊がやってくる。まさに捕鯨が日本の扉をあけた。
ちなみに、コーヒーチェーン"スターバックス"は『白鯨』の一等航海士スターバックに由来している。白鯨に片足を奪われ、復讐に燃える船長を冷静に諌める航海士。コーヒーを味わいながら、静かに己を顧みようということだろうか。
鯨と日本人の付き合いは古い。縄文貝塚からは鯨の骨に加え、首飾りや腕輪も出土する。海流に乗り、湾内に漂着した鯨は「寄り神」。浜一帯に大きな富をもたらす「えびす」様だった。室町時代の上流貴族や武士の宴会には、鯛や鯉に次いで、必ず鯨肉が出てくる。
江戸時代になると庶民に鯨食が普及。町を描いた絵には、居酒屋の軒先に「鯨」と書かれている。刺身・鍋物・汁物など調理の仕方も広がる。米を主食にし、醤油や味噌を多用する日本人と鯨肉は相性が良い。鯨の普及には捕鯨技術と保存、流通の進歩があった。大きな網で鯨の動きを止め、銛をうつ漁法が始まる。捕獲・解体・加工・運搬を行う「鯨組」という産業組織もできた。
捕鯨の盛んな土地には、鯨の墓や供養塔がある。鯨の霊を供養してきたのは日本のみ。鯨の肉だけではなく、骨はかんざしや櫛、ひげは楽器、内臓は薬と、全ての部位を利用した。わが先人たちは鯨の命に感謝しつつ生きてきた。日本には独特の捕鯨文化が息づいている。
反捕鯨国に問いたい。「鯨を殺すのは野蛮で、牛や豚は違うのか。膨大な魚を食べる鯨の増加は生態系を崩さないのか」。日本は6月に委員会を脱退した。鯨文化を継承し、海の生態系を維持するためにも、規律ある商業捕鯨を支持したい。

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