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白川城跡【しらかわじょうあと】

白川城跡

白川城跡主郭

指定種別 国指定 史跡
指定年月日 平成28年10月3日
所在地 白河市藤沢ほか
所有者 白河市ほか
面積 366,597.43平方メートル

搦目地区の阿武隈川右岸に広がる、標高約400mの丘陵地を利用して築かれた山城である。別称「搦目城(からめじょう)」とも呼ばれる。

文治5年(1189)、下総結城の武将結城朝光は、源頼朝の奥州藤原氏攻めに参加して功名をたて、その恩賞として白河庄の地頭職を与えられた。その後、朝光の孫の祐広が正応2年(1289)頃、下総結城より移住して白川城跡を本拠としたと伝えられる。

明確な築城時期は明らかではないが、「山城」という形態や文献資料の研究成果から、近年では南北朝時代初頭の元弘・建武年間(1331~1337)頃には築城されたのではないかとの見解も示されている。そして、永正7年(1510)に起きた白河結城氏宗家と庶流小峰氏両家の対立(永正の変)以降、白河結城氏の本城は、小峰氏の本拠であった小峰城に移ったと推定されている。

現在、白川城には御本城山と呼ばれる主郭をはじめ、二ノ郭、鐘撞堂とされる平場や土塁や空堀などの遺構が良好な状態で残されている。

感忠銘【かんちゅうめい】

感忠銘は、白川城の北東部搦目にある磨崖碑(まがいひ)である。

この碑は文化4年(1807)に、地元の大庄屋内山重濃が、結城宗広・親光親子の後醍醐天皇に対する忠烈を後世に伝えようとして彫らせたものである。題字の「感忠銘」は白河藩主松平定信が書き、文章は藩校立教館教授広瀬典、書は立教館習書局の習書師を務めた賀孝啓(がこうけい)によるものである。

感忠銘

感忠銘

地図を見る:白川城跡

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